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陛下との親密な交流は語り草 浜名湖「プリンス岬」近隣住民の思い出

 天皇陛下が即位されて、早くも半月が過ぎようとしている。通常のご執務が始まり、多忙な日々を過ごされているが、学習院初等科時代などの夏休みに過ごされた旧細江町(浜松市北区細江町)での体験は地元住民にとっても忘れがたい日々として記憶されている。

 ◆「ご近所付き合い」

 天竜浜名湖鉄道の西気賀駅から徒歩5分の場所に「五味半島」がある。浜名湖に突き出た小さな半島だが、地元では「プリンス岬」と親しみを込めて呼ばれている。というのも、上皇さまが皇太子時代に夏の家族旅行で、昭和43(1968)年8月から15年間に9度訪問されているからだ。そこで天皇陛下は地元住民と「ご近所付き合い」といえるほど親密な交流を図られた。

 浜名湖には昔から御用邸はなかった。このため、ご一家は民家に隣接する企業の保養所で夏の数日間を過ごされた。地域住民と気軽に触れあい、写真を撮ったり、会話を楽しまれたりし「非常に開放的な時間を過ごされていた」と、当時を知る地元住民は振り返る。

 平成元年2月に発行された旧細江町の広報紙「ほそえ」号外には、身近にお世話した人たちの声が掲載されている。保養所の庭の手入れをしていた男性は、プール掃除などの作業をしていたら上皇后さまが「お暑いでしょう」とジュースを持ってきてくださったと明かす。また、保養所の管理人だった女性は、初めて来町されたときの風呂がまきでたく方式だったのが、翌年からガスに変更したら、上皇さまは「まきの風呂の方がよかった」と正直な感想を述べられたと驚き、人柄をしのばせるエピソードを紹介している。

 地域の西気賀小学校には、天皇陛下がくつろいだひと時を過ごされたことをうかがわせる品が残っている。野球好きだった陛下が昭和45、46年に同校の児童と一緒にソフトボールに興じられた際に着用したユニホームだ。校長だった柴田宏祐さん(77)によると、以前は玄関に置かれていたが、盗難などの万が一を考えて、今は校長室に場所を変えて保管されているそうだ。

 ◆「特別扱いしないで」

 天皇陛下がソフトボールをされることに関して、当時校長だった中村千代子さん(98)は「上皇后さまが乗り気だったという雰囲気を感じた」と明かす。ただ、当初、当時ファンだったというプロ野球巨人の末次民夫選手(昭和49年に利光に改名)の背番号38が入ったユニホームを着用されていた。「特別扱いしないでほしい」という要望を出されていた上皇后さまにしてみれば、「全部、他の子供たちと一緒じゃないといけないというのがあったのでしょう。ちょうど小学校でユニホームを新調したばかりだったので、予備のものがあり、それに着替えられました」と中村さんは記憶をたぐり寄せてくれた。

 中村さんはユニホームのことなどを通じて、こんな印象を持ったそうだ。「平等の意識を感じましたね。郷に入っては郷に従うというのでしょうか。形だけをそろえるのではなく、その中に入って行動して初めて分かることがある。すべて行動を通して感じるというのですかねえ」

 プリンス岬での率先して何でも自分でやられていたお姿を見つめる中村さん。新たな象徴天皇として歩みを始められた陛下に「私から言えることはないのですが、今のままやっていただければいいのではないでしょうか」と願った。(松本恵司)

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