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【陛下の足跡を訪ねて】島原 真夏の被災地訪問「空気ががらっと変わった」

 長崎県島原半島に「平成」を冠した山がある。雲仙・普賢岳の噴火によってできた平成新山だ。甚大な被害をもたらした火山のふもとで、天皇、皇后両陛下は、被災者の慰問に努められた。そのお姿から、災害から立ち上がる皇室と国民の新たな結びつきが生まれた。

 平成3年6月3日、普賢岳で大火砕流が発生した。死者・行方不明者43人。家屋、農地も火砕流や土石流に襲われ、多数の住民が避難生活を余儀なくされた。

 1カ月後の7月10日、両陛下はこの地に足を運ばれた。噴火はまだ、収まっていなかった。

 島原市長として災害対策の陣頭指揮を執っていた鐘ケ江管一氏(88)は、知事から両陛下が訪問されると聞いた。

 「信じられなかった。噴火活動は続き、警戒の渦中でした。実際、宮内庁は『しばらくお待ちください』と、だいぶ止めたそうです。それでも行くとおっしゃった」

 当日、鐘ケ江氏らはホテルの玄関で、消防団や遺族とともに、両陛下を出迎えた。皇后さまは、幼い子供を抱いた消防団員の妻に「何カ月になりますか」とお聞きになった。

 「1歳になりました」と答えると、皇后さまは目に涙をためながら「大変でしたね」と励まされた。

 鐘ケ江氏らは、陛下が休憩される部屋や食事を気に掛けた。だが、宮内庁から「絶対に被災者の迷惑にならないように」「食事はカレーライスで」と伝達された。両陛下の意思だった。

 陛下は、食事中も何度も状況を尋ねられた。召し上がったのは4、5さじ分だったという。

 陛下は上着とネクタイを取り、シャツの袖をまくられた。スリッパもはかず、避難所となっていた市立総合体育館に入られた。夏の太陽が降り注ぎ、気温は30度を超えていた。

 被災者を前に、両陛下はしゃがみ、床に膝をつかれた。「頑張ってくださいね」「赤ちゃんのあせもは大丈夫ですか」。慰問中、両陛下が汗を拭われることはなかった。

 その姿は国民を驚かせた。有識者からは「陛下がなさることではない」という意見も出た。

 だが、その姿に誰よりも驚き、感動したのは、大災害に遭い、途方に暮れる被災者だった。涙を流し、言葉が出ない人もいた。

 鐘ケ江氏は「被災者が畳の上で、両陛下が床にお座りになった。『もったいない』『頑張らないかん』と避難所の空気が、がらっと変わりました」と振り返った。

 両陛下は、ヘリコプターからも視察し、布津町や深江町(いずれも現南島原市)を含め、計7カ所の避難所や仮設住宅を回られた。

 ■「ひげの市長さん」

 鐘ケ江氏は平成4年11月、市長退任を前に、赤坂御所で両陛下と面会した。陛下は「島原の青々とした緑はどうなりますか」とおっしゃった。

 陛下は、噴火発生前の2年5月に、全国植樹祭で島原半島にある国見町(現雲仙市)を訪問されていた。

 鐘ケ江氏が「ヘリコプターからまいた種が、芽吹き始めています」と答えると、安心した様子だったという。島原半島の美しい情景が、陛下のお心にあったのだろう。

 両陛下は7年、改めて、島原を訪問された。訪問地の一つ、仁田団地第一公園にはその後、記念碑が建立された。犠牲者の追悼碑もあり、毎年6月3日には多くの人が冥福を祈る。

 陛下が詠まれた2首の御製(ぎょせい)(和歌)がある。

 人々の 年月かけて 作り来し なりはひの地に 灰厚く積む

 四年余も 続きし噴火 収まりて 被災地の畑に 牧草茂る

 鐘ケ江氏はこれまでに計9回、両陛下に拝謁する機会があった。

 あるとき、皇后さまは「この方がひげの市長さんで、本を出されたのよ」と、長女の黒田清子さんに紹介してくださった。災害当時、鐘ケ江氏はひげをはやした姿から、「ひげの市長」と呼ばれていた。

 ■「バイバイ」

 両陛下と住民の交流は28年たった今も続く。

 平成29、30年の天皇誕生日、「島原半島産の献上品」が両陛下に届けられた。雲仙市で栽培されたコチョウランだった。

 栽培した「立光(たちこう)洋蘭園」の立光一孝氏(64)の一家も、3年の噴火の被災者だ。

 それまで島原市内で生産を手掛けていたが、相次ぐ土石流で自宅周辺は警戒区域となり、ハウス内に灰が入り込んだ。

 一家5人で避難していた体育館を、両陛下が見舞われた。鐘ケ江氏は「花を作っている方です」と紹介した。

 息子たちは陛下から「お外で遊べなくて大変ね」と声をかけられた。妻の美佐子氏(60)は「何のお花を作っているんですか」「頑張ってください」と励ましを受けた。

 「バイバイ」。当時6歳だった長男の真一郎氏(34)が、遠ざかる両陛下に言うと、お二人は振り返り、ほほえまれた。

 立光氏は1年後、雲仙市で営農を再開した。

 それから四半世紀。陛下に贈ったコチョウランを育てたのは、無邪気に声をかけた真一郎氏だった。

 コチョウランは、両陛下の目にとまる場所に置かれたという。立光氏には、鐘ケ江氏を通じて、「きれいなお花をありがとう」とお礼の言葉が寄せられた。

 美佐子氏は「慰問の後、避難所で『陛下に見てもらえる花を作らないとね』と声をかけてくれた人がいました。まさか実現するとは思わなかった。本当に光栄なことです」と話した。

 立光氏は「両陛下に声をかけられた被災者は皆、言葉では表現できない、すばらしい何かをいただいた。もうすぐ平成は終わるが、新しい時代にも、うちは息子たちが花作りを頑張ってくれる」と語った。 (高瀬真由子)

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