PR

地方 地方

【陛下の足跡を訪ねて】水俣、患者との「極秘」面会 公害へのご関心、あふれる心遣い

 熊本県水俣市から八代海(不知火海)を望む。青く澄んだ海の先に、天草諸島が見える。この穏やかな海でかつて、公害の原点と言われる水俣病が起きた。今なお苦しむ住民もいる。天皇、皇后両陛下は平成25年10月27日、水俣を訪れ、母体で水銀に侵された胎児性患者らと対面された。

 第33回全国豊かな海づくり大会での、熊本ご訪問だった。水俣に陛下が来られる前日の朝、胎児性患者が通う共同作業所「ほっとはうす」の加藤タケ子施設長(68)=当時=に、県庁職員から連絡が入った。職員は「極秘だ」と前置きして、こう話した。

 「皇后陛下が、胎児性患者にお会いするという強い気持ちをお持ちです。人選はお任せします」

 皇后さまは、水俣病を描いた『苦海浄土』で知られる作家、石牟礼(いしむれ)道子氏(1927~2018)と親交があった。石牟礼氏は皇后さまへの手紙などで、面会を強く願ったという。

 「おそれ多くも…」。加藤氏はそんな思いを抱きながら、あわてて準備に取りかかった。

 胎児性患者との面会は、宮内庁が事前に公表したスケジュールにはない。誰にも事情を明かせない中、信用できるタクシーと運転手の手配など、目の回るような忙しさだった。

 当日の昼過ぎ、「知事と面会する」と伝えて2人の患者、加賀田(かがた)清子氏(63)と金子雄二氏(63)を施設から連れ出した。両陛下に会うと伝えたのは、待機するタクシーの中だった。運転手には外してもらった。

 加藤氏は患者2人が動揺するかと心配したが、静かに受け止めてくれた。

 午後2時ごろ、市内にある県環境センターの応接室に入った。両陛下がお待ちだった。

 侍従らも退席した。室内には両陛下と、加賀田氏、金子氏、加藤氏の5人だけとなった。

 加藤氏は施設の歴史などを説明した。

 その後、加賀田氏は押し花のしおりを、金子氏は押し花つきの名刺を差し出した。作業所でつくり、使用するものだった。

 「いただいて良いんですね」。皇后さまはハンドバッグから懐紙を取り出し、いとおしそうに包まれた。

 加藤氏は宮内庁の関係者から、「両陛下には、何もお渡してはなりません」と念押しされていた。しかし、2人にとって名刺やしおりは大きな意味を持つ。「かわいそうな水俣病の患者」ではなく、地域社会で役割を持って生きている証明だ。加藤氏は、2人の行動を止められなかった。

 2人には発語障害もある。天皇陛下は「何とおっしゃいましたか」と何度も確認しながら、耳を傾けられた。

 陛下との面会中、3人の目に自然と涙があふれた。

 30分弱の面会を終え、部屋から出た。待機していた職員から「今日の出来事は『夢』だと思ってください」と告げられた。口止めだった。

 「両陛下にお会いしたことを誰にも話せないなら、2人の患者に辛い荷物を背負わせてしまったかもしれない」。加藤氏は心配した。

 しかし、両陛下はその後「先ほど、胎児性患者の方とお会いしました」と発言された。これを受けて宮内庁は午後5時、面会の事実を公表した。

 「面会を公表していただいたのは、両陛下のお心遣いだったと思います。人としてどう生き、どのように人を気遣うか。素晴らしい財産をいただけた」。加藤氏はこう話した。

 加賀田氏も「『お元気ですか』というお声かけが、本当にうれしかった」と当時を振り返った。

 ■見捨てられたのか

 両陛下はその後、美しさを取り戻した水俣湾に稚魚を放流し、市立水俣病資料館に向かわれた。

 当時、市立水俣病資料館長だった島田竜守氏(54)=現市教委生涯学習課長=が案内役を務めた。

 周辺を再現した模型の前で、皇后さまの言葉に驚いた。

 「御所裏(ごしょうら)はどこですか?」

 御所裏町(現天草市)は水俣市から不知火海を隔てた島にあった。熊本大学の調査で、毛髪から最も高い水銀値を検出した女性が町内にいた。被害が広がっていたことの象徴だが、あまり知られていない。

 「両陛下は公害の歴史について、本当に隅から隅まで調べられた上でいらっしゃっている」

 島田氏は、背筋が伸びるような思いになった。

 水俣病は昭和31年に公式確認されたが、それから12年間、国も自治体も工場廃水を止めなかった。

 そう説明したとき、天皇陛下が初めて問いかけられた。

 「水俣は見捨てられたのですね」

 関係者を詰(なじ)るのではなく、淡々と事実を確認するような口調だったという。

 「『はい』とお答えしようとしたが、言い切ってしまうことが正しいのか、迷ってしまった」

 島田氏は背後に控える国や県の関係者の表情も気になった。沈黙は数秒ほど続いた。

 陛下は重ねて問いかけられた。「見捨てられたのですね」

 今度こそ島田氏は「はい、そうです」と答えた。

 「私にとって、陛下は国を代表される方だ。その陛下が、『見捨てた』という言葉を使われた。ここまでおっしゃられるのかと、ただただ驚いた」。島田氏はこう振り返った。

 ■本当の人生

 患者で同資料館語り部の会の緒方正実会長(61)は、資料館で両陛下に自身の体験を語った。

 網元だった一家の生活が一変したこと、自身の病状を隠していたこと、患者認定を受けるまでの苦悩…。与えられた15分間に、さまざまな思いを込めた。

 「水俣病は決して終わっていないことを知ってください」

 話しながら緒方氏は、長年胸につかえていた思いが、取り除かれるように感じた。「幸せですらあった」という。

 天皇陛下は、話し終えた緒方氏に感想を述べられた。

 「真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたいものです」「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています」

 約1分間という異例の長さだった。

 「私だけではなく、水俣病の患者皆が苦しんだ。それは消えることはない。しかし、その苦しみがあったからこそ、天皇陛下にお会いできた。あの時私は、自分の水俣病を許し、自分の本当の人生を手にしたと思う」

 緒方氏はこう語った。

 訪問後、陛下は水俣を取り上げた3首の御製(ぎょせい)(和歌)を詠まれた。

 患ひの 元知れずして 病みをりし 人らの苦しみ いかばかりなりし(水俣を訪れて)

 あまたなる 人の患ひの もととなりし 海にむかひて 魚放ちけり(第33回全国豊かな海づくり大会)

 慰霊碑の 先に広がる 水俣の 海青くして 静かなりけり(平成26年歌会始)

 歌が刻まれた御製碑は、水俣病犠牲者の慰霊碑の近くに置かれた。(中村雅和)

                   ◇

 あと1週間で平成の御代が終わる。天皇、皇后両陛下は九州・山口を何度も訪問された。その足跡には、お二人と人々の強い結びつきが生まれていた。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ