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花の御所の西端示す濠跡を初確認 8代将軍・義政が設置か 京都

 多くの足利将軍が構えた邸宅「花の御所」跡(京都市上京区)の西端とみられる濠(ほり)跡が現在の室町通(当時の室町小路)の東沿いから出土した。調査した京都市文化財保護課によると、西端が確認されたのは初めて。花の御所は室町小路沿いにあったことから別名「室町殿」ともいわれ、同課は「室町殿の情報の一端を明らかにできたことは重要な成果」と評価する。

 花の御所は室町幕府第2代将軍、足利義詮(よしあきら)が公家の屋敷を譲り受けて別荘を設けたのが始まり。第3代将軍、義満が本格的な邸宅を造営した。敷地内に多くの植樹などがあったためこの名で呼ばれ、室町小路に正門を設けたことから室町殿とも呼ばれたという。

 今回は個人住宅の建設に伴い約55平方メートルを調査。この結果、調査地の西北角から室町通に沿った形で南北方向の濠の一部が確認された。幅3・4メートル、深さ1・4メートル。南北は確認できなかったが、濠の西限は現在の通りの下に存在する可能性が高いという。

 濠の中から時代を特定する遺物は確認できなかったが、上層の遺構から室町時代後期から末期にかけての建物跡などが出たため、同課は「濠は第8代将軍、義政が応仁の乱のときに設けた可能性がある」とみている。

 また文献には応仁の乱で焼失した後の文明11(1479)年に再建しようとした際、南端から北約60メートルの範囲で町衆の建物があったことが記されており、今回の調査でこの記述も裏付けられたという。

 室町殿は現在の上立売(かみだちうり)通から北限の溝が、そこから約210メートル南で南限の溝が出て南北の範囲はほぼ確定されている。東西は約120メートルと想定されていたが、確認できていなかった。現場はすでに埋め戻されている。

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