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【坂東武士の系譜】第4部・激動の時代(19) 壬生綱雄 天満宮の暗殺事件首謀者は誰?

今宮神社=鹿沼市今宮町
今宮神社=鹿沼市今宮町

 鹿沼市中心部の天満宮は血塗られた歴史がある。天正4(1576)年2月25日、イチョウの陰から放たれた矢が宇都宮氏の宿老である実力者、壬生綱雄を射抜いた。この暗殺事件の首謀者は何と綱雄の弟、徳雪斎(とくせつさい)(壬生周長(かねたけ))。「壬生町史」によると、この劇的な場面は「押原推移録」や「皆川正中録」に記されている。討たれたのは綱雄の父である壬生綱房と記されているなど矛盾もあるが、この後、綱雄の嫡子、壬生義雄(よしお)が大いに驚き、大いに怒り、徳雪斎を討ち果たして話は落着する。

 現在の天満宮は住宅や店舗に囲まれた祠(ほこら)だけの小さな範囲で、近くの今宮神社(鹿沼市今宮町)の鳥居脇にある大木がその情景にふさわしいが、日本城郭史学会委員の笹崎明さんは「まるで鶴岡八幡宮での源実朝暗殺場面。同時代の史料はなく、江戸時代に創作された話の可能性が高い」と指摘する。そもそも綱雄の死去は、常楽寺過去帳によると、永禄5(1562)年5月である。

 笹崎さんは「綱雄の死に関与、裏で手を引いていたのは宇都宮氏。壬生氏に翻弄(ほんろう)された主君の意趣返し」とみている。「鹿沼市史」収録の史料「宇都宮広綱宛行状(あてがいじょう)」によると、広綱は、綱雄暗殺について壬生氏の重臣・神山氏が「特別忠信に励み、奔走した」と褒め、神山氏との連絡役を担った家臣には所領を与えた。

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