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「日本医師会 赤ひげ大賞」緒方俊一郎医師(熊本・相良村)「患者の生活 幅広く支える」

村医として大勢の患者を診る緒方俊一郎氏
村医として大勢の患者を診る緒方俊一郎氏

 第7回「日本医師会 赤ひげ大賞」(主催・日本医師会、産経新聞社、特別協賛・太陽生命保険)に、九州から熊本県相良村の緒方医院院長、緒方俊一郎医師(77)が選ばれ、今月15日に表彰された。6代目の村医者として治療だけでなく、介護施設や子供の言語治療科も運営する。地域の課題や、今後の抱負を聞いた。(高瀬真由子)

 --地域の医療体制と課題は

 村にある有床診療所は緒方医院だけ、他にクリニックが1カ所です。相良村を含む球磨郡(9町村)でも、有床診療所は2カ所しかなく、村外からも入院患者を受け入れています。

 少子高齢化が進み、人口がどんどん減っています。独居や高齢世帯が増え、気を配らなければいけない家庭も多い。先日も、独居の高齢者が、死後3日たって発見された。脳梗塞でときどき見に行っていただけに、フォローできなかったことが悔しかった。

 --医院の6代目です

 開業は江戸時代末期だそうです。私は九州大学医学部を卒業後、福岡都市圏の病院で勤務し、特に水俣病患者の治療に携わりたいと考えていました。ですが、村長に転身した父から「村に医者がいないと困る」と言われ、昭和46年に帰郷しました。自分の置かれた場所で、できる限りのことをやろうと思い、取り組んできました。

 --連絡が入れば夜中でも対応しています

 祖父は人力車、父はバイクで地域を回っていました。何かあればすぐに駆けつける姿を見て育ったので、医者とは、そんなものだと思っています。

 診療に当たっては、「相手の身になる」ということを心がけています。みなさん、何か困っているから相談に来られる。話をよく聞いて、しっかり悩みに答えることを、第一に考えています。

 --印象深い出来事は

 村に戻ってすぐの頃、近くの消防署に救急車が配備されておらず、流産で大量出血した女性の止血処置をしたことを覚えています。道路も未整備の地域が多く、患者宅に行くのに山道を2時間歩いたこともあります。治療の後は「せっかく来たんだから、お茶でも飲んで行きなっせ」と言われ、湯飲みに焼酎を注がれました。

 --目標としていた水俣病患者の治療にも関わっています

 潜在的な患者は多いと感じています。水俣病と認定された人は支援が受けられますが、認められなくても、病気の症状に苦しむ人がいる。手足のしびれを、ヘルニアや糖尿病だと診断され、納得いかない思いを抱えている人もいます。

 これまで1千人以上の患者を診ました。時間が取れれば、県外にも往診に行きます。昨年は東京や愛知に行きました。患者の苦しみを、少しでも分かってあげたい。

 --介護施設も運営しています

 これも村に戻って間もない頃ですが、ある患者宅の状況に愕然(がくぜん)としました。廊下にうず高く汚れた下着が積まれ、茶碗(ちゃわん)には乾いたご飯粒がついたまま。患者の便も踏みつけました。「医療以前の問題を解決しないと、患者の生活は支えられない」。そう思いました。

 介護施設はまだ普及していない時代です。村や県に掛け合い、医院の裏手に特別養護老人ホームを設けました。誰も介護のやり方を知らなかった。一緒に寝泊まりし、オムツ替えからやりました。

 --言語治療科も設けています

 隣接する人吉市で、昭和61年に、小学校に設けていた言語の通級学級がなくなりました。言葉がうまく出ない吃音(きつおん)の子供らが、訓練をしていました。保護者から「残してほしい」という声があり、医院の敷地内で受け入れるようにしました。子供らが「言葉」のことを「おとば」と言っていたので、名称は「おとばはうす」です。50人程度が通っています。

 --幅広い取り組みで、地域住民を支えています

 治療だけでは地域が抱える問題の解決にはなりません。自宅で最期を迎えたいというニーズに応えるため、訪問介護ステーションもつくりました。農薬中毒が問題となった時期は、農家や学校の先生を集め、食と健康を考える勉強会を開きました。

 --これからの展望は

 昨年4月、水俣市立総合医療センターに勤めていた長男が、医院を継ぐために戻ってきてくれた。ありがたかったですね。息子に医院を任せた後は、水俣病患者の治療に力を入れようと思っています。

 医者として、患者が回復し、笑顔を見せてくれることが励みです。これからも患者の気持ちを大事にし、要望に応えていきます。

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