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「耐火性の蔵」に年70俵保管 京商家、コメ防災に備え 杉本家の古文書調査

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 京都市下京区にある重要文化財の町家「杉本家住宅」で平成30年、明治期に建設された米蔵の大規模修理が終わった。研究者でつくる「奈良屋記念杉本家保存会古文書調査会」が杉本家に伝わる古文書を読み解いていくと、年間約70俵(約4・2トン)ものコメを熟練の奉公人が管理し、災害などから食料を守るため耐火性のある土造りの米蔵を造ったとみられることなど、京商家の知恵が明らかになってきた。

 ■ネズミの侵入防止

 杉本家は、江戸時代から呉服商奈良屋を営んだ旧家。幕末の元治元(1864)年、長州藩と幕府勢力が武力衝突した「禁門の変」で焼け、母屋は6年後の明治3年に再建された。

 米蔵が建てられた正確な時期は分からないが、明治期の「家内購入費併普請高簿」には、16年に米蔵へのネズミ侵入防止のため鉄板を購入した記録があり、母屋再建からそう年月を置かずに米蔵も建設されたと推定される。

 どれくらいのコメが必要だったのか。江戸時代の「万覚留」に、課税台帳や戸籍簿に当たる「宗門人別改」が書き写されていた。それによると、幕末の慶応4(1868)年には家族と従業員で計26人がいた。当時の成人のコメ消費量は1日3合程度だから、年間約70俵となる計算だ。

 実際に明治10年代の家内購入費併普請高簿の記載では、年間67・5俵から77・5俵を購入しており、幕末から明治まで、ほぼ同人数が働いていたとみられる。

 ■熟練奉公人が管理

 従業員に関する帳簿「諸簿」には「米、味噌(みそ)、漬物の管理責任者」として「常次郎」と記されている。諸簿によると、常次郎は明治2年から奉公し、18年後に千葉県香取市にあった支店の支配人に就任。その後、食料の管理責任者になっており、支店支配人も務めた熟練の奉公人がコメを管理していたことが分かる。

 奈良屋は江戸時代中期の寛保3(1743)年8月5日創業。この際に購入した品を記した文書が掛け軸に表装されており、「米ひつ壱」の文字もある。米びつ一つでスタートした商家が米蔵を構えるまでに成長したわけだ。

 同保存会の杉本歌子学芸部長は「古文書には支店のコメ置き場が焼けた記録もある。火災や災害から大切な食料を守るために蔵まで造ったのだろう。米蔵を保存することで、そうした先人の思いも後世に伝えたい」と話している。

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