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インドネシア・バンダアチェ市のアーニタさん、ヌフスさんと津波体験を互いに還元 宮城

インドネシア、バンダアチェ市のユスリダ・アーニタさん(右)とアル・デア・テウンゴ村の共同農園リーダー、ハヤトゥン・ヌフスさん=7日、宮城県東松島市(千葉元撮影)
インドネシア、バンダアチェ市のユスリダ・アーニタさん(右)とアル・デア・テウンゴ村の共同農園リーダー、ハヤトゥン・ヌフスさん=7日、宮城県東松島市(千葉元撮影)

 ♪つなみの よほうのときは たかだいへ ひなんしよう-。地震が来たら、津波が来たら。そんなとき、思い出してほしい歌ができた。「津波の歌」。日本語で歌うのはインドネシアのバンダアチェ市から宮城県東松島市にやってきたユスリダ・アーニタさん(35)、ハヤトゥン・ヌフスさん(47)。「津波」で結ばれ、学び合う両市の交流事業。「相互復興」が息づいている。

 2004年のスマトラ沖大地震と、その津波。バンダアチェも甚大な被害を受けた。

 当時、ジャワ島の大学に通い、家族と離れて暮らしていたアーニタさん。「祖父母、母、妹、叔母を亡くしました。妹はどこに埋葬されたかもわかりません」とつぶやく。

 バンダアチェ市役所の職員になったアーニタさんは平成23(2011)年、東日本大震災の報道に接した。

 「驚きと悲しみ。インドネシアでの地震、津波では日本の支援を感じていました」

 アーニタさんは胸を痛めた。27年、公務員同士の交流事業への参加募集に手を上げ、初めて東松島を訪れた。

 「3カ月の滞在の間に東松島の生活の様子を学びました。日本の復興計画はここまで突き詰めて考えられているのかと驚きました」

 震災がれきなど、廃棄物処理の対応。出たごみを、ただ焼いて処理していたバンダアチェにその仕組みを導入しようと考えた。

 「ごみの分別の流れを学べた。資源ごみは売ることで経済活動にもつながる」

                   

 そんなアーニタさんの活動を市民として、見守っていたのがヌフスさん。バンダアチェの津波避難ビルで行われたワークショップで、2人は出会った。

 「アーニタさんの活動の目的とビジョンに共感しました。手助けしたかった」

 ヌフスさんも交流事業に参加し28年、東松島へ。震災の被害が大きかった野(の)蒜(びる)地区のハーブ園を見学。インドネシアでは共同農園のリーダーを務める。「共同農園ではコミュニケーションが生まれ、作物作りを楽しみながら、交流の場が生まれます」。アーニタさんも農園をサポートする。

 「あのおおつなみ2004ねん12がつ26にち」「あのおおつなみ2011 3がつ11にち」

 2人が歌った津波の歌の歌詞。東松島とバンダアチェが紡いだ絆の証し。

 「東松島で学んだことをバンダアチェ流に変えて導入していく」。2人は口をそろえた。(千葉元、塔野岡剛)

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