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秩父から見る古代史に高まる関心 県立自然の博物館、増える入館者

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 海のない埼玉県で太古の昔、秩父盆地には湾が広がっていた。地層に太古の海を示す痕跡があり、海に生息する「海棲(かいせい)哺乳類」の化石が多く発見されているからだ。これらは平成28年に県としては48年ぶりという「国天然記念物」に指定され、全国的にも注目されている。それを知ることのできる県立自然の博物館(長瀞町)は入館者が年々増えており、秩父から見える日本の古代史への関心の高さをうかがわせている。(蔭山実)

 ◆海棲哺乳類の化石

 「古秩父湾」。秩父盆地にあった湾はいま、こう呼ばれている。博物館の担当者によると、秩父地方に海が広がっていたとみられるのは約1700万年前からで、1500万年前には消滅したという。そのことが地中から発見された海棲哺乳類の化石で推測できるという。

 その発端となったのが、50年近く前に秩父市大原の荒川右岸で発見、収集された「パレオパラドキシア」と呼ばれる海棲哺乳類の化石だった。その後、県立自然の博物館が開館し、3体の復元群像模型として一般公開された。

 パレオパラドキシアは「太古の矛盾した生き物」という意味で、カバに似ているが、分類学的にはまったく異なる。カバはウシやクジラと同じ部類に入るが、パレオパラドキシアはゾウやジュゴンに近いといわれる。化石の多くが日本で見つかっているが、まだ分からないところが多い。

 一方、地質学の研究でも秩父地方は「日本地質学発祥の地」と呼ばれ、歴史的に貢献してきた。明治時代、当時の東京帝国大学地質学教室教授で「日本地質学の父」の異名を取るエドムンド・ナウマン氏の訪問がきっかけだった。

 ◆宮沢賢治も調査

 大正時代にかけて貝の化石研究などが数多く報告され、地質学調査で人気の地となった。教員だった童話作家の宮沢賢治も授業の一環で調査に訪れたことが記録にある。昭和に入って古代に湾だった地層の研究が始まった。

 秩父で地質調査が可能になった背景には、上武鉄道(現在の秩父鉄道)の存在が大きい。明治時代末期に熊谷から長瀞まで延伸され、東京から1回の乗り換えで訪れることが可能になった。長瀞にある県立自然の博物館には、古秩父湾の存在を示す化石群も集まり、日本列島の形成を探る資料として価値を高めている。

 博物館の担当者は「さまざまな標本は脈々と受け継がれ、次代に向けて保存していくだけではなく、活用していくことも求められている」と話している。

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【用語解説】県立自然の博物館

 大正10(1921)年、秩父鉄道が長瀞に設立した鉱物や植物の陳列所が母体。戦後、地質学調査の資料が加えられ、昭和24年には「秩父自然科学博物館」が開設。その後、公的機関で資料を役立てようと、秩父鉄道から1万2千点余の資料の寄贈を受けた県が56年に「県立自然史博物館」を整備した。平成18年の県立博物館再編に伴い「県立川の博物館」と併設し、現在の施設名で運営されることになった。

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