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【平成のICカードはこうして生まれた】ニモカ(2)「時代はポイント開放に向かってる」

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学生証一体型やクレジットカード機能付きなど、さまざまな種類のニモカがある
学生証一体型やクレジットカード機能付きなど、さまざまな種類のニモカがある

 「九州でスイカが使える日が来るとは、思っていませんでした」

 JR東日本のSuicaシステム推進プロジェクト担当部長、椎橋章夫(65)=現JR東日本メカトロニクス社長=は、感謝の言葉を口にした。目の前には、同社を訪ねた西日本鉄道の役員らがいた。

 西鉄は平成17年、ICカードシステムにスイカ規格を使うことを決めた。役員らはその直後、スイカの生みの親である椎橋に、協力を求めたのだった。

 椎橋は昭和51年、分割民営化前の国鉄に入社した。国鉄、JR東日本を通じて技術者として働き、自動改札機やスイカを担当した。

 スイカの開発には、16年もの歳月がかかった。多くの課題を乗り越えた、わが子のようなスイカを全国に広めたいと思っていた。

 椎橋にとって、西鉄の決断は意外でもあった。

 椎橋は、西鉄が平成15年にカード開発の勉強会を始めたときから、スイカの情報を提供した。あるとき、西鉄社員から言われた。

 「スイカ方式を採用した場合、開発にJR東日本の会社を使わないと、まずいですか」

 「そんなことはないですよ」と答えながら、椎橋は西鉄社員の言葉に小さなトゲを感じた。

 JR東日本は、スイカ導入に460億円を費やした。内訳はシステムが130億円、設備・機器の更新が330億円だった。

 同社は、スイカの技術をオープンにし、全国の交通事業者に採用を呼びかけた。利用エリア拡大に加え、機器やシステムの製造をグループ会社で受注しようという狙いもあった。

 その狙いに難色を示しているのではないか-。椎橋はこう受け止めた。

 「確かに、JRや関東に金が流れるのは、いまいちだよな。さすが日本一のバス会社だ」。西鉄のプライドを感じ、スイカ採用は遠ざかったと思った。

 それだけに椎橋は、西鉄のスイカ規格採用と機械の製造の依頼を喜んだ。

 そのころ、関西の私鉄各社が、後払い式のICカード「PiTaPa(ピタパ)」を全国に広げようとしていた。スイカ方式か、ピタパ方式かを、迷っている会社もあった。

 その中で、九州の雄がスイカを採用すれば、スイカの価値もさらに高まる。

 椎橋は、西鉄への協力を約束した。

                 × × ×

 「ICカードって、何ですか?」

 16年7月、西鉄の自動車事業本部システム課の社員、田中昭彦(49)=現同本部システム開発課長=は、ぽかんとした。

 同課に異動した直後、「ICカードを担当してもらう」と、上司に言われたのだった。

 田中は文系出身で、営業の仕事が中心だった。もちろん、ICカードの原理や仕組みなど、技術的なことは、ほとんど分からない。

 「なんでシステム? 俺、何かやらかしたか」。懲罰人事かと思ったほどだった。

 田中が入社した4年、西鉄は磁気システムの「バスカード」を導入した。バス営業所に配属された田中は、現金や回数券から、乗客がバスカードに移るのを目の当たりにした。

 「磁気からICカードに切り替わるのか。また、バスの風景が変わるな」

 気を取り直した。

 田中の仕事は、鉄道中心のスイカのシステムに、バスに関する機能を、付け加えることだった。

 技術は分からないが、膨大な仕事が待っていることだけは分かった。

 「ピッ」

 ICカードをバスの端末にタッチすると、軽やかな機械音が鳴る。

 この瞬間、カード認証↓乗降停留所のデータ読み込み↓カードの入金データから運賃分を引き、残高を上書きする-。カードと端末の間で、こういった作業が行われている。

 運賃収受を滞りなく進めるには、必要情報を網羅したシステムが必要となる。

 基礎となるデータは、磁気カード導入時に作っていた。田中らはそれを応用した。苦労したのは、区間定期券の電子化だった。

 定期券の利用客は、指定区間の途中で乗降することも、区間外から利用する場合もある。経由ルートが異なれば、運賃が変動することもある。

 あまりに複雑で、西鉄は磁気カード化を断念した。

 田中は、先輩社員があきらめた区間定期券の電子化に、取り組むことになった。

 想定される乗客の動きを、一つ一つ洗い出した。「乗降するバス停は同じでも、指定の経路以外を使う場合」「定期の指定区間を乗り越した後、乗り継ぎ割引対象のバス停から乗った場合」

 各営業所にも聞き、乗り方のパターンや、地域ごとに異なる運賃データをまとめ、メーカーに依頼した。絡み合う糸のような複雑なデータと専門用語に、頭から煙が出るようだった。

 データを取り込んだ端末とカードが完成すると、実証実験に入った。椎橋の指示もあり、JR東日本グループの社員が協力した。

 福岡市内のビルの一室が実験室となった。駅の改札機、バスや商業施設に置く読み取り端末、チャージ機、ポイント交換機など、全ての機械を並べた。

 使う機械の順番を変え、何度もテストした。テスト回数は、数万回に及んだ。

 0・2%程度の確率でエラーが出た。1万人が利用すれば、20人でミスが出ることになる。

 「運賃収受は、会社の信頼に関わる。ミスは絶対許されない」

 田中らメンバーは、メーカーにも確認し、プログラムの間違いを一つ一つ見つけ、つぶした。

 実験は半年に及んだ。作業は日付をまたぐこともあった。機械の梱包(こんぽう)材にくるまって、眠りこける社員もいた。それでも、手は抜かなかった。

                 × × ×

 一方、ICカードを利用した際に付けるポイントをめぐり、大きな議論が社内で起きていた。18年に入ったころだった。

 商業施設が発行するカードのポイントは、同じ施設でしか使えないのが常識だった。カードの目的が、顧客の囲い込みだからだ。

 しかし、新たに導入するICカードは、他社との相互利用を前提にしている。西鉄で付けたポイントを、他社の鉄道やバス、商業施設で使えるようにするか否か-。開発メンバーで意見が対立した。

 「ビックカメラのポイントが、ヨドバシカメラで使えたらおかしいでしょう。ポイントは、自分たちの店に戻ってきてもらうために付けるもんです。他社で使えるようにしたら、相当な金額が流れてしまう」

 ICカード開発室課長の飯田浩之(52)=現福岡観光コンベンションビューロー観光事業部長=は訴えた。

 飯田の言葉は、多くのメンバーの思いを代弁していた。例えばバス部門の社員は、日頃、JR九州と熾烈(しれつ)な競争を繰り広げている。自社ポイントがJRで使われることに難色を示した。商業施設の担当者も、当然否定的だった。

 開発メンバー11人のうち1人だけ、他社への開放を主張した。常務から専務に昇格した担当役員の陶山(すやま)秀昭(75)だった。

 「カードそのものはどこでも使えるのに、付けたポイントが使えないと、お客さまが混乱するやろう。シンプルが一番たい」

 陶山は繰り返した。飯田の心も少しずつ傾いた。

 航空会社や金融業界では、ポイントを異業種の企業でも使えるように取り組み始めていた。驚きのニュースもあった。JR東日本とビックカメラがこの先、ポイントを相互に使えるようにするという話だった。

 「他社でもポイントを使えることが、カードの魅力になる。専務が言う通り、時代はポイント開放型に向かっている」

 君子豹変(ひょうへん)す。飯田は、ポイント開放に乗り替えた。陶山も繰り返した。「悩んだときは、基本に立ち返ろう。使いやすいカードをつくる。それがひいては収入増につながる」

 西鉄はポイント開放を選んだ。

 数カ月の議論が決着しても、検討事項はまだまだ山ほどあった。カードのデザイン、ネーミング、クレジット会社との提携…。会議や作業は深夜に及んだ。

 「アイス買ってこい」。陶山が若手に金を渡すと、「頭を冷やして、まだやるぞ」の合図だった。5千円を受け取った若手は、100円商品では割に合わないと、高級アイスを買ってきた。

 平成19年5月、カード発行業務を担う子会社「西鉄カード」(現ニモカ)を設立し、作業は佳境に入った。目標とする20年春の導入まで、あと1年に迫っていた。(敬称略)

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