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【黄門かわら版】隣県の絆、出会いと別れ

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 平成28年9月、作詞家、高野公男の没後60年のコンサートが水戸市内で開かれた。無二の親友だった作曲家の船村徹の呼びかけに、北島三郎や船村の門下生らが駆けつけた。茨城と栃木という隣県のよしみで築かれた「男の友情」は、多くのファンの共感と涙を誘った。

 船村は栃木県船生(ふにゅう)村(現在塩谷町)出身。東洋音楽学校(現東京音大)で高野と出会う。笠間市出身の高野は、故郷を思うヒット曲「別れの一本杉」の作詞を手がけた後、26歳という若さでこの世を去った。

 そもそも、2人にはわずか7年間という交友しかない。しかし、売れなかった時代に苦楽をともにしてきたせいか、互いの才能を認め合っていたという。

 作家、瀬戸内みなみさんが船村の晩年にインタビューした「わが人生に悔いなし」(月刊「Hanada」)によると、船村は「高野との出会いがなければ今の自分はなかった」と人生の“相棒”を慕った。茨城出身の高野の言葉は、船村の栃木弁に通じ、お互いが影のようにそばにいたという。「見てろ、今に地方の時代が来る。おれは茨城弁で詩を書く。おまえは栃木弁で作曲しろ」と激励した。

 船村は高野の夭逝をだれよりも悲しんだ。ぽっかり穴が空いたようにショックを受けた。命日には友が眠る笠間に足を運んでは、大衆音楽の普及に努めた濃密な時間を懐かしんだ。享年84。今月16日、船村の三回忌を迎える。 (日出間和貴)

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