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【かながわ美の手帖】鎌倉市鏑木清方記念美術館「佳人をゑがく-清方の美人画を中心に-」展

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 ■ファッショナブル 「卓上芸術」の極み

 美への憧れと、季節の風情-。明治から昭和にかけて美人画の画家として活躍した近代日本画の巨匠、鏑木清方(かぶらききよかた)(1878~1972年)。早春の鎌倉市鏑木清方記念美術館で企画展「佳人をゑがく-清方の美人画を中心に-」が開かれている。文字通り「早春」という題の作品をはじめ、どれもが粋で端正で品格にあふれている。

 ◆元祖アムラー!?

 「早春」は大正7年、40歳のとき、びょうぶ(二曲一隻)に描いた。普通の家庭で使ってもらえるようにと、当時の女性風俗と季節の風情を取り入れ、清方の真骨頂と言える作品だ。

 すみれ色のショールに、千鳥をあしらった髪飾り、半襟(はんえり)の下が着物という和洋折衷。大正半ばに流行した最先端ファッションに身を包んだ市井の女性が、早春につくしを摘んでいる。

 すみれ色に合うよう、黄藤(きふじ)を傍らに配した。金箔(きんぱく)を絹地の裏から貼っており、全体的に鈍く光る落ち着いた色調。重心が下に置かれた構図。モデルはなく、清方の理想の女性像という。

 女学生を描いた23歳の作品「浅みどり」(明治34年)は、もっとファッショナブルだ。えび茶のはかま姿とリボン(頭にも靴にも)は当時大流行していた。「1990年代の安室奈美恵ブームみたいに、10代の女の子たちが夢中になった」という学芸員の今西彩子の説明に納得する。

 20代の頃に描いた「金色夜叉の絵看板」(明治38年頃)は、尾崎紅葉の小説『金色夜叉』(30~35年)の舞台化にあたって頼まれた。熱海の海岸で貫一がお宮をなじる有名な場面。作中に描写はないが、お宮がリボンの髪飾りをつけているところが清方らしい。

 挿絵画家を目指し、16歳頃に新聞でデビュー。紅葉や泉鏡花に見いだされ、一流文芸誌の口絵を手がけるようになる。博文館が発行する『文藝倶樂部』の口絵「白鳥」(39年)は木版、対抗誌の春陽堂書店『新小説』の「虎の門 見立十二姿の内」(43年)は石版。木版と石版の仕上がりの違いを楽しみつつ、読者を喜ばそうと最先端のファッションを研究し、毎号、季節を感じさせる口絵や美人画に仕上げていった。

 ◆親しみやすさ望む

 本展の目玉の一つが「にごりえ」(昭和9年)だ。樋口一葉の小説『にごりえ』(明治28年)を15図の連作にしたもの。清方は少年時代から一葉に憧れ、最晩年になるまで愛読し、暗唱できるほど読み込んでいた。

 いつか彼女の小説の挿絵を描ける画家になりたいと熱望。一葉は24歳で早世し、一度も会えなかったが、清方は56歳のとき、『にごりえ』の一場面一場面を描いた。

 家庭のちゃぶ台で広げ、筆遣い、色使いをじっくりと楽しめるような芸術があってもいいじゃないかと清方は主張。大展覧会で目立つ「会場芸術」に対し、「卓上芸術」と名付けた。その典型例が台紙の「にごりえ」連作であり、びょうぶ絵「早春」なのだ。

 「挿絵画家として鍛えられた清方は、作品と鑑賞者の距離の近さを何よりも望んでいた」と今西は語る。「にごりえ」は引き出し式のケースに展示され、間近に見られる。明治、大正期には、さげすまれていた美人画を芸術に高めた清方。その功績を目の当たりにできる。=敬称略 (山根聡)

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 ▼企画展「佳人をゑがく-清方の美人画を中心に-」は鎌倉市鏑木清方記念美術館(鎌倉市雪ノ下1の5の25)で24日まで。午前9時から午後5時(入館は午後4時半まで)。月曜休館(11日は開館し、翌12日に休館)。観覧料は一般200円ほか。問い合わせは同館(0467・23・6405)。

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 ■鎌倉市鏑木清方記念美術館 近代日本画の巨匠、鏑木清方の終焉(しゅうえん)の地、鎌倉市雪ノ下の旧居跡に平成10年、開館。閑静な住宅地の中の和風建物で、端正なたたずまいをみせている。東京・神田生まれの清方は昭和21年、疎開先の静岡県御殿場市から鎌倉市材木座に転居。文化勲章を受章した29年、雪ノ下に転居して画室を設け、47年に93歳で亡くなるまでの間を過ごした。平成6年、遺族から市に美術作品・資料と土地・建物が寄贈された。現在、財団法人「鎌倉市芸術文化振興財団」が運営を行っている。

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