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【坂東武士の系譜】第4部・激動の時代(11)武茂鎌綱 実弟・宇都宮成綱に反旗翻す

武茂城跡=那珂川町馬頭
武茂城跡=那珂川町馬頭

 享徳の乱(1454~82年)の末期前後の文明10年代前半、宇都宮氏の内紛があった。宇都宮成綱(しげつな)に対して武茂鎌綱が反乱を起こす。実は、成綱は宇都宮正綱の次男で、鎌綱は正綱の長男。つまり兄弟の争いで、鎌綱は、実弟が継いだ宇都宮氏の家督を奪おうとして挙兵、失敗したのだ。その状況を記した古河公方・足利成氏から宇都宮氏の家臣に送った書状が残っている。

 宇都宮中央女子高校の月井剛教諭は「当時の史料は少なく、断定はできない」とした上で、「どの書状にも鎌綱の名はない。武茂六郎と書かれ、年代的に鎌綱と思われる」と説明する。六郎は武茂氏当主の名乗り。断絶後の武茂氏を再興した正綱から、その後を継いだ鎌綱に、六郎の名乗りも受け継がれたようだ。

 一方、江戸時代の系図では、鎌綱は病弱で隠居したとか、そのため宇都宮氏の家督は弟が継いだとか書かれている。月井さんは「不自然な記述」と指摘。鎌綱の子孫が、家督争いに敗れた不名誉な事情をことさら隠しているのではないかと推測する。

 武茂氏は有力な宇都宮氏の一族。宇都宮氏が断絶したとき、武茂氏から養子を出して家督をつないだ。本拠地の武茂荘は旧馬頭町(那珂川町)などの県東部で、宇都宮から離れた場所に一族を配置し、宇都宮氏が東部方面に気を使っていたことが分かる。武茂氏からすると、領地をめぐり宇都宮氏と対立することの多い那須氏や、常陸(茨城県)の有力武家、佐竹氏の影響を避けられない立場に立たされた。戦国時代は佐竹氏との関係を深めていった。

 ◆武茂鎌綱(むも・かねつな) 室町時代後期~戦国時代? 「兼綱」とする史料もある。また、成綱が長男で、鎌綱が弟という系図もある。

 参考文献は「戦国期地域権力と起請文」(月井剛、岩田書院)など。

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