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【かながわ美の手帖】横浜美術館「イサム・ノグチと長谷川三郎-変わるものと変わらざるもの」展

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 ■1950年の出会い 神奈川にもゆかりが

 〈1950年代、日本美再発見〉。そんなうたい文句が、横浜美術館で開催中の「イサム・ノグチと長谷川三郎-変わるものと変わらざるもの」展に付いている。ノグチは日系米国人の20世紀を代表する彫刻家。長谷川は日本の抽象絵画の先駆的役割を果たした洋画家。2人の交友は50(昭和25)年、占領下の東京で始まった。「古い東洋と新しい西洋の統合」を目指して共鳴した2人だが、ともに「神奈川」と大きなゆかりがあったことも見逃せない。

 ◆茅ケ崎、辻堂、鎌倉

 イサム・ノグチ(1904~88年)は米ロサンゼルスに生まれ、父は英語詩人の野口米次郎、母は米国人作家で教師。幼少期は母と茅ケ崎で暮らした。

 長谷川は49年に隣の辻堂に転居。翌50年にノグチが19年ぶりに日本を訪れる。このときノグチは岡本太郎や丹下健三ら気鋭の前衛芸術家や建築家と交流するが、その1人が長谷川だった。2人は意気投合。日本美の本質を求めて京都、奈良、伊勢などを旅し、対話を重ねた。

 ノグチは翌年、女優の山口淑子(李香蘭)と結婚。北鎌倉の北大路魯山人の邸宅敷地内に住居兼アトリエを構え、制作の合間に長谷川を訪ねては、ともに辻堂海岸を歩いたり、北鎌倉の円覚寺で座禅を組んだりした。54年に長谷川が再渡米するきっかけはノグチが作ったとされる。

 日本の美術館で最初にノグチの個展を開いたのは52年、開館まもない鎌倉の県立近代美術館だった。

 横浜美術館では2006(平成18)年に続いての開催となる。今回は1950年代の作品を中心に、ノグチの陶や金属、石の作品約50点、長谷川の墨や「拓刷」による絵画など約70点を展示。「ノグチと長谷川の2人の名を冠しているが、個展の併設ではないところがユニーク」と主任学芸員の中村尚明は言う。

 ◆生産的な親しさ

 占領末期の日本を訪れ、古い文化財を見て芸術と社会について考えようとしたノグチと、日本には優れた抽象文化の伝統があると戦前から主張していた長谷川。本展がテーマに据えるのは「芸術家同士の交流の中でも、まれにみる親しさと生産的な関係」だ。

 長谷川は日本の古い文化遺産の無二の案内役となり、ノグチが日本の美の本質を理解する上で重要な役割を果たした。一方、ノグチは長谷川の制作意欲を奮い立たせ、新たな創作の地平を切り開かせた。

 例えば2人は訪れた京都で桂離宮を見ながら、精神的な背景となる禅や東洋思想を含め、深い対話を重ねた。そのときの印象をもとに長谷川が翌年制作したのが「桂」(1951年、木版・紙本・二曲屏風(びょうぶ)一隻)だ。かまぼこ板に丸や棒、長方形を彫り、ポスターカラーを塗って小さい紙に貼り、「桂離宮を抽象」した。

 ノグチも来日を機に伝統工芸の「岐阜提灯(ちょうちん)」に着想を得た光の彫刻「あかり」シリーズ、備前焼など、生活に寄与する芸術へと進んだ。

 「2人は伝統ある文化遺産を消化吸収し、その本質を自分の中に蓄え、それにのっとって新しい形を作りだしていった」と中村。渡米した長谷川はビート・ジェネレーションと呼ばれた当時の詩人や芸術家にも影響を与えたといわれる。 =敬称略

  (山根聡)

 ◇ 

 「イサム・ノグチと長谷川三郎-変わるものと変わらざるもの」展は横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3の4の1)で3月24日まで。午前10時から午後6時まで(入館は午後5時半まで)。3月2日は午後8時半まで(入館は午後8時まで)。木曜休館(3月21日は開館し、翌22日に休館)。観覧料は一般1500円など。問い合わせは同館(045・221・0300)。

 はせがわ・さぶろう 1906(明治39)年、山口県生まれ。高校時代、洋画家の小出楢重に師事。東京帝国大学文学部美学美術史科卒。欧米遊学後の37(昭和12)年、自由美術家協会を設立。抽象絵画、さらに禅、茶道、俳句に関心を寄せ、戦後は木版、拓版、水墨作品を多く制作。47年、日本アヴァンギャルド美術家クラブの結成に加わる。50年に来日したイサム・ノグチと親交を結ぶ。アメリカ抽象美術家協会の招請で53年、日本アブストラクト・アート・クラブを組織し、翌年、その代表として再渡米。米国で創作の傍ら、東洋思想や日本の前衛美術の紹介に尽力した。がんを患い、57年、サンフランシスコで50歳で死去。

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