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【士魂を育む 今村裕の一筆両断】教育勅語に込められた日本人の「こころ」

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 昨年10月、内閣改造がありました。大臣の記者会見では、それぞれ定番の質問が出ます。文部科学大臣の場合は、教育勅語についての考えです。肯定的な発言をしようものなら、よってたかって叩(たた)かれます。踏み絵を迫るかのような記者会見の様子を見るたびに、質問者は教育勅語の成立当時の日本の苦悩、そこに書かれた徳目などをどれほど理解しているのだろか、と疑問に思います。

 詳細は「教育勅語の真実」(伊藤哲夫、致知出版社)など数多くの他書に譲りますが、明治維新直後の日本は、さまざまな課題に直面しました。政治や経済に加え、国民の倫理道徳の問題がありました。

 西洋化の中で日本の良き伝統や文化が失われていく。明治天皇はそう心配し、井上毅(こわし)と元田永孚(もとだながざね)に倫理道徳観の基本を作成するよう命じました。それが『教育勅語』(明治23年10月発布)です。

 作成にあたって最も重視したのは、どの国からも、どの宗教からも文句の出ないものにすることでした。列強のパワーが世界を覆う時代。若い国家である明治日本にとって、不平等条約の改正が最大の課題でした。それには近代国家として、世界から認められることが必要と考えました。伝統的な倫理基準を作ろうとすれば、日本を平等に見ていないキリスト教国から、「やはり日本は近代国家ではない」と思われる心配がありました。

 教育勅語は決して宗教ではないということを、明確にする必要があったのです。宗教的なにおいのある言葉である、神も仏も天もいっさい使われていません。その上、誰からも文句の付けようのない道徳律を並べたのです。

 「父母に孝行し」「兄弟仲良く」「夫婦相和し」「友人同士は信じ合い」「慎み深く行動し」「情愛を皆に及ぼし」「学問を修め手に職をつけ」「知能を啓発し」「徳を成就し」「仕事に励み」「憲法法律を守る」

 こう続く徳目に、「けしからん」と思う人はいないはずです。日本の伝統的な倫理道徳観、それまでの日本人が磨いてきた「こころ」を並べたのです。

 しかも明治天皇は、この勅語の内容を、自分も実践するから、皆も一緒にやろう、と呼びかけておられます。法律でも法的規則でもなく、勅語といっても大臣副署もなく、性質からいえば「御製」(天皇の私歌)のようなものといえます。

 他の国ならば、こうはいかなかったでしょう。強力な為政者や、特定宗教の代表が、これが正しいのだから、これをやりなさいと押し付けたことでしょう。

 文部省は教育勅語を英訳させ、さらに漢訳、独訳、仏訳もして世界の主だった国に配りました。その結果、どこからもクレームは来ませんでした。こうして維新以来の懸案だった倫理道徳の問題に、終止符を打ったのでした。

 その教育勅語を「戦時中に神聖化されて軍国主義につながった」と非難する人がいます。こうした人は、特に12番目の「国に危機があれば力を尽くす」という内容に拒否感を示します。現憲法9条がしみこんだ人には、違和感があるのでしょう。「天皇が臣民に向かって道徳の規準を示している」として、天皇と臣民の上下関係にこそ問題があると反対します。

 このような考え方は、教育勅語の成り立ちを見失っています。当時の英知を結集して作成したものを、現在の一般的な価値観をもって、悪く評価しているだけなのです。つまり、平成の日本人が、明治の日本人を貶(おとし)めているのです。

 こうした後世の非難は当たりません。明治時代の各国が非難しなかったばかりでなく、戦後になって、カトリックの倫理綱領と同じだとして、高く評価したカトリックの神父もいました。敗戦後に「神道指令」を出した占領軍の責任部局である民間情報教育局も、教育勅語は悪いところはないという立場でした。

 教育勅語には上下関係ではなく、明治天皇と国民の間の温かで強い結びつきが込められているのです。

 年明けの一般参賀には、過去最多の15万人以上が集い、新年を今上陛下と一緒に祝いました。無数の日の丸が振られている光景こそが、今の日本の姿だと感激しました。この気持ちを胸に、今上陛下から皇太子殿下への皇位継承の日をお迎えしたく思います。

                   ◇

【プロフィル】今村裕

 いまむら・ゆたか 昭和31年、福岡市生まれ。福岡県立城南高校、福岡大学卒。兵庫教育大学大学院修士課程を修了。福岡大学大学院博士後期課程。公立小学校教諭、福岡市教育センター、同市子ども総合相談センター、広島国際大学大学院心理科学研究科などを経て、現在は大分大学大学院教育学研究科(教職大学院)教授。臨床心理士。

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