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寺町の浄教寺敷地調査 平安京東端くっきり

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 豊臣秀吉の寺町整備の遺構が出土した京都市下京区の浄土宗寺院、浄教寺(じょうきょうじ)の敷地で、平安京の東端にあたる東京極大路(現在の寺町通)の側溝と築地塀(ついじべい)の存在などを想定させるような遷都時の整地層がはっきりわかる形で出土した。民間調査団体・古代文化調査会(神戸市)は先月末に行った現地説明会で、京域が規格が示すとおりに整備されていたことが確認できたと評価した。

 平安京の範囲は南北5・2キロ、東西4・5キロ。東端は東京極大路で、現在の寺町通にあたり、四条寺町交差点南の発掘現場では同大路の東端の塀に伴う内側溝(うちそっこう)が幅2メートル以上にわたり確認された。

 さらに都の道路や溝の大きさなどを規定した国の法令・規格書「延喜式(えんぎしき)」が示す通り、内側溝の東(外)には築地塀用とみられる、東西幅約6メートルにわたって黄緑色がかった土で整地された空間が出た。

 一緒に出た土器から遷都時に整地されたことがわかった。その整地された土地の東側は石を大量に含む荒れ地で、その差は歴然。同調査会は「平安京の東端がここまではっきり確認できたのはおそらく初めて」という。

 その一方で、今回の調査では、中国の都城でみられる大規模な塀と溝で京域を囲む「羅城(らじょう)」の存在を証明できる遺構の確認が目的だったが、築地塀とその東側にあるはずの外側溝(そとそっこう)は確認されなかった。

 同調査会の家崎孝治代表は「都の内と外を簡単に仕切るものはあったが、築地塀はなかった可能性が高い。しかし、規格通り整備されている以上は、羅城をつくる意図はあった」と推測した。

 このほか調査地では、江戸時代後期の天明8(1788)年に発生した大火で焼けて、赤く変色した建物跡や鬼瓦などが大量に出土した。

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