PR

地方 地方

幻の寺、京女大生が実態解明 檜尾古寺跡を2年間調査

Messenger

 京都市左京区の如意ヶ嶽山中で見つかった檜尾(ひのお)古寺跡。これまでは古い資料などでしか名前が知られていなかった幻の寺だったが、京都女子大考古学研究会の2年間に及ぶサークル活動の一環として行われた測量や遺物採集による調査で、寺院の実態が次第に明らかになってきた。調査で採集された遺物は2月17日まで京都市考古資料館(上京区)で展示されている。

 同大の梶川敏夫非常勤講師が如意ヶ嶽に存在した三井寺(大津市)の別院、如意寺や文徳天皇の母、藤原順子(のぶこ)が建てた安祥寺(京都市山科区)といった山林寺院の調査をしてきた実績があり、同研究会は梶川さんの指導で引き続き両寺の調査に取り組んできた。

 檜尾古寺については、平安前期の真言宗の僧、恵運(えうん)が書いた「安祥寺資材帳」などから、安祥寺の北に存在していたことが分かっていたが、これまで遺構は見つかっていなかった。

 ところが2年前、如意寺の子院、大慈院の推定地から複数の建物の礎石が発見されて以来、5回にわたり調査を実施。9世紀前期の土器や瓦、仏像とみられる塑像の破片を採集した。

 また建物は東西約140メートル、南北約130メートルの範囲の尾根を削り、谷を埋めて造成され、10世紀中頃に火災で廃絶したことも判明した。

 この結果、室町時代に最盛期を迎えた大慈院ではなく、安祥寺から真北約600メートルにあたり、資材帳にも出てくる檜尾古寺の可能性が高いことが分かった。

 今回の展示品の中で注目されるのは、塑像と緑釉(りょくゆう)陶器の破片だ。塑像は粘土を主材料にワラなどを混ぜた土を、木とワラで立体的に組んだ芯に盛り上げて造られた像のこと。中国から伝わった技法で、7世紀後半の飛鳥時代から8世紀の奈良時代にかけて造られた。

 このため奈良県内の寺院を中心に作例が多くみられ、8世紀末に遷都された平安京では北野廃寺から出土した仏頭などのみで、数は少ない。

 今回の塑像の破片は、檜尾古寺跡から見つかった2棟の建物跡のうち1棟の中央部分から出土した。須弥壇に置かれていた仏像とみられる。仏像の特定は難しいが、指先の一部や衣とみられる渦巻き状、線刻が施された破片などが含まれていた。

 梶川さんは「塑像は重いので平地で造ったものを山に運ぶのは難しく、寺で造ったとみるのが自然。奈良時代で終わったとみられていた塑像の制作が9世紀まで続いていた可能性を示す発見」と説明する。

 また緑釉陶器は、引退した天皇の離宮・冷泉院や右大臣、藤原良相(よしみ)ら高級貴族の邸宅跡から出たものと遜色ないといい、「創建に相当な位を持った人物がかかわっているのでは」と推測する。

 同調査会の部員は現在14人。今回の調査に参加した文学部4年生の宮本麻菜さんは「先輩から引き継ぎ、重たい機材を山中まで運んで少しずつ調査を進めながら、その結果として歴史を解明できたことはよかった」と話した。

 今回採集した遺物のうち50点が市考古資料館エントランスで展示されている。入館無料。月曜休館(月曜が祝日か振替休日の場合は翌日)。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ