PR

地方 地方

【平成よ とちぎの軌跡】(6)プロスポーツ 栃木ブレックス 地域密着、熱い思いで成長

Messenger

 地元ファンに強さを見せつけた。12月27日、ブレックスアリーナ宇都宮(宇都宮市元今泉)。平成30年を締めくくるホームゲームで秋田ノーザンハピネッツに84-59で圧勝。4020人がスタンドを埋め尽くし、選手には大きな声援が送られた。バスケットボールのプロリーグ、Bリーグの初代王者に輝いた栃木ブレックスは、人気と実力を兼ね備えたチームへと成長し、バスケットボールを栃木に根付かせた。ブレックスは今季、東地区2位(10日現在)と好調だ。

 ブレックスが誕生したのは18年。当時、「プロスポーツ不毛の地」とまで言われていた栃木県で一からチームを立ち上げ、人気チームに押し上げた立役者が、チーム運営会社の副社長、藤本光正さん(36)だ。

 「とにかく気持ちしかなかった」と当時を振り返る。学生時代にバスケットボールにのめり込んだ藤本さんは大学卒業後、スポーツ関連のコンサルティング会社に入社。その直後、県内でバスケットボールのプロチームを作るための署名運動が行われていたことから、その立ち上げを主導することになった。

 ◆大胆、アポなし渡米

 しかし、当時は日本のバスケットボール界はプロ化への混迷の中、日本リーグ(JBL)とbjリーグに分裂。旧来の実業団チームが資金面でも優勢だった時代だ。チーム設立に関するノウハウは全くなく、苦労の連続だった。選手やコーチの招聘(しょうへい)、チケットの価格決定、試合の演出方法は、米NBAを参考にしながら、全てを自分たちだけで決めてきた。「バスケが好きだから、働いているという感覚はなかった」と藤本さん。スポンサーやファン獲得のため、熱意を伝え続けた。

 その熱意は海をも越え、20年、田臥勇太選手(38)の獲得に成功。日本人初のNBAプレーヤーであるスター選手の加入によって、チームは上昇気流に乗った。「(田臥選手は)当時、NBAしか見ていないと言われ、どのチームも獲得を諦めていた。でも常識や固定観念にとらわれたくなかった」。藤本さんは事前連絡なしで渡米し、代理人に直談判する大胆な行動に出て、田臥選手の心を動かした。田臥選手は現在、主将を務め、ブレックスを国内屈指の強豪に押し上げる原動力となったチームの顔である。

 ◆応援が戦う原動力だ

 チーム名には「ブレーク・スルー(現状を打破する)」の意味が込められている。藤本さんは「チーム立ち上げから、みんながこの思いを持ってやってきた」と胸を張る。選手のプレーだけでなく、試合中の演出などのファンサービスもその思いのもとで生み出された。ブレックスの持つ熱い思いは県民の心を動かし、ホームゲームに足を向ける県民は着実に増えている。

 昨年末のホームゲームの後、安斎竜三監督(38)は「応援が力になる。ファンの皆さんに少しでも喜んでもらいたいという思いで戦った」と力を込めた。地域密着、ファン第一を掲げるブレックス。一度アリーナに足を運べば、その熱狂に飲み込まれる。(根本和哉)

=おわり

                   ◇

 ◆未来予想図 栃木ブレックスの藤本光正副社長は「社会の課題をバスケで解決したい。単なるビジネスでなく、社会に積極的に関与していけば、もっとバスケの面白さは広がる」と話す。プロスポーツチームによる社会貢献活動が広がりを見せれば、県内チームやそのスポーツ自体の人気も高まることが期待される。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ