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【ちば平成史】22年 成田スカイアクセス開業 世界標準「都心から30分台」実現

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 平成22年7月、都心から成田空港までを最短36分で結ぶ成田スカイアクセスが開業した。これにより従来50分台だった鉄道路線の所要時間は大幅に短縮された。

 「成田空港は遠いというイメージを打破するため、空港アクセスの改善に取り組んできた。その思いが形になった。世界の主要空港に比肩する空港アクセスを実現できた」

 開業当時、京成電鉄(本社・市川市)の社長だった花田力相談役(74)は、力を込めて成果を語る。

 昭和53年5月の成田空港開港に合わせ、同社は京成成田駅と成田空港駅(現在の東成田駅)を結ぶ空港新線の営業を開始した。

 しかし、当時は空港ターミナルに直接乗り入れることができず、成田空港駅はターミナルから約1キロ離れた場所に設置された。利用者は駅とターミナルの間をバスなどで移動したが、重い荷物を持ち運ぶ海外旅行客らは不便を強いられた。国鉄(現在のJR東日本)も成田駅から連絡バスを運行するなど同様の状況で、空港利用者の増加とともに「日本の表玄関にもかかわらずアクセスが不便」との声が高まった。

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 こうした状況を受け、63年に当時の石原慎太郎運輸相が休眠中の「成田新幹線」の施設を活用して在来線に転用することを発表。平成3年3月、JR東日本と京成はターミナル地下駅への直接乗り入れを実現させた。

 直接乗り入れに合わせてJRは特急「成田エクスプレス」の運行を開始。京成も新設計の「2代目スカイライナー」を導入した。利便性は増したが、都内までの所要時間はいずれも50分台だった。

 「世界の主要空港は都心から30分前後でアクセスできるのが標準。『成田は遠い』というイメージを払拭し、空港の競争力を向上させることで千葉県の発展につなげたい。利便性を高めることは、お客さまにとっても最大のプラスになる」 そう考えた花田氏らは14年に「都心から30分台」という命題を掲げ、開港前の反対運動で頓挫した成田新幹線構想に代わる新高速鉄道「成田スカイアクセス」事業をスタートさせた。

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 スカイアクセスは京成本線から北総鉄道、千葉ニュータウン鉄道、成田空港高速鉄道(旧成田新幹線の施設)など5つの路線をまたいで走る全国的にも珍しいケースで、運行主体の京成が鉄道施設を保有する他の4社に施設使用料を支払う仕組みとなった。

 当時、社長として各社との協議にあたった花田氏は、「空港アクセスの向上のため『ぜひ、やりましょう』と関係者の思いが一致して折衝もスムーズに進み、着工から4年数カ月という短期間で開業することができた」と振り返る。

 30分台を実現するため開発した3代目スカイライナーは、在来線最速の時速160キロというスピードとともに、世界的なファッションデザイナーの山本寛斎氏による洗練されたデザインも注目を浴びた。

 特にこだわったのは車体のカラーで、藍色をメタリックにアレンジした塗装の部分だった。「晴れの日も雨の日もイメージが変わらないような納得ができる色を出せるまで、塗装試験を7回も繰り返した。私も『青が濃すぎるんじゃないか』と直接、意見を出したこともある」(花田氏)。

 当時、旧スカイライナーは首都圏の私鉄で唯一喫煙できる有料特急として知られていたが、国際化を見据え、新型車両は全面禁煙とした。決断したのは「1日40本くらい吸っていた」というヘビースモーカーの花田氏自身だった。

 「社長は絶対に喫煙車両を残すべきだと言うはずと周りが忖度(そんたく)していたから、まさか私から切り出すとは思っていなかったみたいだ」と花田氏は笑う。

 同社によると、3代目スカイライナーの1日平均乗客数はスカイアクセスが開業した22年度下期の約7500人から30年上期は約1万3900人にまで増えた。「毎年10%増という、鉄道においては驚異的な伸び。それだけ評価され、求められている」と花田氏はいう。

 成田国際空港会社(NAA)が28年に実施した「アクセス交通実態調査」によると、鉄道利用者からは「本数が少ない」「案内などが分かりにくい」といった不満の声が目立ち、所要時間の短縮以外の改善も求められる。東京五輪・パラリンピックが開催される32年までに訪日外国人を4千万人まで増やすという政府目標の達成に向けて、成田空港のアクセス向上はさらに重要性を増すことになる。(城之内和義)

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