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秀吉の寺町整備の堀跡出土 京都の浄教寺敷地調査 「変遷分かる資料」

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春長寺の創建当初に設けられ、秀吉により埋められた堀の跡。底には塀の瓦などが散乱している=京都市下京区
春長寺の創建当初に設けられ、秀吉により埋められた堀の跡。底には塀の瓦などが散乱している=京都市下京区

 京都市下京区の浄土宗寺院、浄教寺(じょうきょうじ)の敷地から、天正10(1582)年の本能寺の変で討ち死にした武将の菩提(ぼだい)寺の移築時に築かれ、豊臣秀吉が都市改造の一環で天正18年に実施した寺町整備に伴って埋められた堀跡が出土し27日、民間調査団体の古代文化調査会(神戸市)が公開した。同会は「寺町整備の変遷が分かる珍しい資料だ」としている。

 発掘調査は浄教寺の建て替えなどに伴い約560平方メートルの範囲で実施。堀は、本能寺の変で織田信長とともに討ち死にした村井貞勝の菩提を弔う春長寺(しゅんちょうじ)が移転してきた際に築かれ、寺の周囲を巡っていたとみられる。中に捨てられていた瓦から判明した。出土した堀の痕跡は寺の南西角のものとみられ、幅約6メートルで深さ1・5メートルの逆台形だった。

 堀はその後、秀吉が天正18年に実施した寺町整備で、信長・信忠親子を弔う大雲院(だいうんいん)を二条御所から現在の四条河原町に移したのに伴い埋められた。さらに堀の一部は翌年この地に移転してきた浄教寺に組み込まれていたことが分かった。

 浄教寺は、平安時代末期に平重盛が東山に建立した堂が始まり。後に村井貞勝が帰依したという浄土宗の僧侶・貞安(ていあん)が住み、貞安は大雲院の創建、移転などにも大きくかかわっている。

 古代文化調査会の家崎孝治代表は「寺町は秀吉が京内の寺を一度に集めて形成された印象が強いが、今回のように貞安が中心になり、いろんな変遷を経て整備されていったことが確認された」と話している。

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