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【年の瀬記者ノート】名取の「佐々直」旧本店工場跡解体 津波の脅威どう伝えるか

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 東北総局に赴任して、初めて宮城県名取市閖上地区を取材したのは昨年11月のこと。東日本大震災で700人以上が犠牲となった場所を皇太子ご夫妻が訪問されたときだった。以来、何度も訪ねるたび、必ず目に留まったのは、地元の水産加工会社「佐々直」の旧本店工場跡。津波の脅威を伝える建物だった。

 ずっと遺構として、あり続けると思っていた。それがいま、工場跡があった場所は更地になっている。今年11月に解体され、姿を消した。

 日和山という小高い丘から、閖上を一望する。犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑のそば、工場跡はあった。

 震災で壊滅的な被害を受けた同地区。復興工事が日常風景となり、かつてそこに町があり、人々の営みがあったことを想像するのは難しい。

 そんな場所にあって、赤い看板に「かまぼこ 佐々直」と大きく書かれ、一階部分が壊れたコンクリート造の建物は強烈な印象だった。海までの距離はおよそ200メートル。なんとか踏みとどまった工場の姿が、津波の威力、脅威を物語った。

 震災後、仙台市太白区に本店を移転した佐々直の佐々木直哉社長(72)を取材した。震災時は工場の屋上に逃げ、難を逃れた。

 「解体は決まっていたことだから」

 淡々と語る佐々木社長。一時は市に寄贈し、遺構として保存することも検討されたが、「民間の建物を遺構として残すのはどうか」という異論が上がったこと、市の区画整理事業にともない工場跡が慰霊碑などを含めた「震災メモリアル公園」として整備されるため解体が決まっていたこと…。そう経緯を聞いた。

 「建物がないと震災を忘れてしまうのではないか。なぜあれだけの人が犠牲になったのか、慰霊碑だけでは伝わらないこともあるのではないか。建物があるのとないのとでは、違う。寂しさもある」と、佐々木社長は胸の内を話した。

 「小中学校、開校」「定住促進、交流人口拡大」「念願の温泉湧く」「災害公営住宅、すべて完成」

 閖上地区を取材し、執筆した原稿には、こんな見出しが付いた。震災から8年近く。復興は着実に進んでいるように見える。メモリアル公園も来年5月には供用を開始する予定だ。

 公園が供用開始されたとき、どんな見出しがつくだろう。公園の写真には何が写り、何を伝えるだろう。津波の脅威をリアルに伝えてきた工場跡はもうない。公園は訪れる人に伝承する“強度”を持つだろうか。

 震災をどう次世代に伝え、教訓を残していくか。更地になった場所で、改めて考えた。 (塔野岡剛)

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