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【今こそ知りたい幕末明治】小倉藩「義を重んずるの挙動」

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 そこで明治維新50年後の大正7年になって、長州藩との戦いで亡くなった小倉藩士を祀る墓碑建立の動きが起きたと考えられる。「官軍戦死者」とされてもおかしくない人々が、時代の変化、すなわち明治維新で顧みられなくなった。そうした人々の復権を、ようやく図ることができるようになったのが、大正の半ばであったと推測される。

 ところで、明治31(1898)年6月11日、『懐旧記事』という本が丸善株式会社書店から発行された。含雪居士こと元長州藩士、山県有朋(首相・元帥)の口述を、秋月新太郎が筆記したもので、全5巻から成る。そのなかで、山県が小倉藩のことを評した箇所がある。現代語訳すれば次の通りとなる。

 「居城の小倉城を自焼し、領地を侵害されても、なお死力を尽くして代々の幕府の恩に報いた。力尽き、万策尽きるまで長州藩と戦った小倉藩の働きは『実に義を重んずるの挙動なり』と言える。今後、徳川幕府の歴史を編纂する者は、この小倉藩の事績を大書、特書するべきである」

 山県は長州奇兵隊を率いて小倉勢と激しく戦った。それだけにこの高い評価には、説得力がある。

 だが、その評価が世に出た後も、奇しくも山県有朋が推薦した原敬の政党内閣が誕生した大正7年まで、長州藩と戦った旧小倉藩士を慰霊することは憚(はば)られたのだろうか。

 はたまた、長州藩との戦いを経験した旧小倉藩士らも老齢となり、後世に語り継ぐため碑を建立したのだろうか。

 明治150年といわれた今年も、間もなく終わる。維新がその後の日本に与えた影響を考えるマクロな視点も大事だが、小倉藩のような九州の一つの譜代藩というミクロな視点からの考察も、今後の幕末維新史研究において重要ではないかと考える。

 もりとも・たかし 昭和56年、山口県柳井市生まれ。九州大文学部卒、同大学院博士課程修了。博士(比較社会文化)。平成23年4月から北九州市立自然史・歴史博物館(いのちのたび博物館)学芸員。共著に『最後の戦国武将 小倉藩主 小笠原忠真』(2018年、北九州市立自然史・歴史博物館)などがある。

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