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【今こそ知りたい幕末明治】小倉藩「義を重んずるの挙動」

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 ちなみに奥保鞏(1846~1930)は、薩長出身者以外で初めて元帥の称号を与えられた陸軍大将・伯爵である。文久元(1861)年9月7日に家督相続、慶応2(1866)年の長州藩との戦いが初陣であったという。

 小沢武雄(1844~1926)は、陸軍中将まで昇進し、男爵となった人物で、日本赤十字社副社長、貴族院議員にもなっている。慶応3年元旦、小倉藩の退国方針(「開国」)を不服として、徹底抗戦を主張する藩士らが結成した「赤心隊」の一人でもあった。

 さて、小倉藩(のち香春藩、豊津藩)は、明治元(1868)年の戊辰戦争においては新政府軍として東北地方まで出兵し、戦死者を出した。彼らの墓は、全良寺(秋田市)の「官修(かんしゅう)墓地」にある。つまり、「官軍戦死者」として埋葬されたわけである。

 だが、慶応2年の長州藩との戦い、すなわち「慶応丙寅の役」で亡くなった小倉藩士らは、朝廷と幕府の発した長州征討令に従って戦ったにもかかわらず、「官軍戦死者」とは認定されなかった。

 もっとも、小倉藩政府としては、慶応3年5月13日、田川郡香春(かわら)の高座石(こうぞう)寺で陪臣(藩士の家来)、農兵にいたるまで全ての戦死者の供養を執り行った。それでも、国家のために殉じた人々を祀る招魂社には、祀られなかった。

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