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【明治維新150年 埼玉県誕生】人物編(5)不世出の名県令・白根多助

白根多助の肖像(県立文書館所蔵 県行政文書A16987)
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 ■「人民の利」モットーに改革推進

 明治4(1871)年の廃藩置県で誕生した「埼玉県」。薩摩藩出身の野村盛秀の初代県令(知事)着任と同時に、参事(副知事級)となったのが長州藩出身の白根多助でした。彼らは相談の上、県政の急進的な改革を避け、すべてに現実を踏まえた漸進主義をもって治政する方針をとりました。

 このスタンスは白根が8(1875)年12月、野村の後を継いで第2代県令となっても受け継がれ、白根が県の基礎を築いた「名県令」「徳望の県令」と評された大きな要因でもあります。

 ◆師範学校を開設

 「県行政史」によれば、野村と白根は埼玉県について「極めて難治の県である」という認識でした。当時、「埼玉の地は東京に接し、風俗は軽浮で男は耕作を怠り、女は紡織を怠けた」「県内の地域によって民情風俗が異なっている。人の気風も土地柄も統一性がない」という散々な評価だったとされています。

 そんな中、白根の実績として特筆されるのが県立の師範学校(埼玉大の前身の一つ)と医学校の設置を進めたことでしょう。政府の文明開化策にすぐさま対応するため、師範学校と医学校を開設して教育の普及に努めました。特に医学校は明治9(1876)年、全国に先駆ける形で当時の浦和宿付近に開校しました。

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