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【明治維新150年 埼玉県誕生】人物編(4)明治天皇の氷川神社行幸

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 ■「勅祭社」強い結びつき今も

 本日は、さいたま市大宮区の武蔵一宮氷川神社(氷川神社)と、明治政府成立後に京都から東京に行幸(ぎょうこう)(東幸(とうこう))された明治天皇との深い関わりを紹介します。

 ◆毎年8月に使者

 時計の針を慶応4(1868)年8月4日に戻します。その日、明治天皇の東幸が布告されました。天皇が東国に行き、関東や東北地方を鎮撫(ちんぶ)して全国的な明治政府による平定を完成させるなどの目的があったと思います。同年9月8日に年号は「明治」に改元、同月20日に実行されました。

 その後、明治元年10月13日に東海道を使って東京に到着した明治天皇は、江戸城に入城し「東京城」と改称。東幸の皇居とされました。同月17日には天皇自ら政治を執り行うことを宣言した「万機親裁の詔」を発しました。

 加えて神や祖先を祭る「祭祀(さいし)」の主宰者と、政治の権力者が一致している「祭政(さいせい)一致」の方針に基づき、氷川神社を「武蔵国鎮守勅祭(ちょくさい)社」と位置づけました。どういう意味かといいますと、氷川神社を武蔵国の総鎮守として親しく行幸し、天皇自ら祭事を執行。さらに毎年、奉幣使(ほうへいし)(天皇の勅命による使者)を派遣するということなのです。

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