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126年前に遭難で漂着の田辺の漁民の子孫、八丈島に「感謝の碑」 手厚い救護の恩を後世に

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 126年前の明治25(1892)年12月、那智勝浦町沖でサンマ漁船が遭難し、黒潮に流されて漂着した漁師を八丈島(東京)の人々が助けた-。その恩返しにと、田辺市在住の遭難者の子孫や漁協関係者らが「感謝の碑」を島に建立、現地で先月、除幕式があった。子孫らは記念誌の編集作業も進めており、「島民の手厚い救護があってわれわれの今がある。先祖が受けた恩を末永く後世に伝えたい」と話している。

 碑は、かつて紀州の漁師が流れ着いた漁港近くの町有地に設置された。土台の中央に「和歌山県民感謝の碑」と刻字した自然石(高さ2・15メートル)を据え、向かって右側に遭難の状況、左側に生還した漁師が感謝の気持ちを込めて作った歌「紀州舟」の歌詞をそれぞれ彫った石を配した。

 昨年2月、慰霊碑がある田辺市の龍泉寺で犠牲者の法要が営まれた際、参列者から「島民への感謝の気持ちが残っていない」との声が上がった。漁師の地元でも過去に埋もれた史実となるなか、子孫の恵中(えなか)美蔵(よしぞう)さん(68)=田辺市江川=らが発起人となり、同9月に「八丈島に感謝の碑を建てる会」を結成。賛同した県内外の約140人から300万円を超える寄付が集まり、建設費に充てた。

 現地で10月23日にあった除幕式には「建てる会」の発起人6人も出席した。「恩を忘れず、子孫がずっと語り継がなければならないと思っていた。感無量でした」と恵中さん。建立地から太平洋と八丈富士の雄姿を眺め、改めて島の人たちへの感謝の念で胸がいっぱいになったという。

 建てる会は、より多くの人に伝えようと、年内に海難事故の歴史や碑の建立の経緯などを綴った記念誌を発行する予定。今月10日には発起人7人が田辺市の市民総合センターに集まり、仮刷りの原稿や写真の最終チェックをした。

 現地との調整役を務めてきた宮田政敏さん(70)=田辺市江川=は「碑を建てたことで報恩ができたという実感はない。今後、教育の場などで子供たちに伝えることができないか考えていきたい」と話した。

 建てる会によると、明治25年12月、新宮市から由良町までの16の地域から出漁した漁師749人が那智勝浦町沖で暴風雨に襲われた。死者・行方不明者は229人にのぼり、助かった人のうち約200人が黒潮に乗って八丈島に流れ着いた。島民は漁師が帰郷するまでの約1カ月間にわたり献身的に介抱し、衣食住の世話をしてくれたという。

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