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白虎隊士墳墓域が国記念物に 地元「ようやく正当な評価」

白虎隊19士の墳墓。周囲には「会津藩殉難烈婦碑」や沿革碑などが並ぶ=福島県会津若松市(会津弔霊義会提供)
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 戊辰戦争(1868年)で自刃した会津藩白虎隊士が眠る白虎隊士墳墓域(福島県会津若松市)が16日、国の登録記念物(遺跡関係)となる運びとなった。国の文化審議会(佐藤信会長)が柴山昌彦文部科学相に答申した。戊辰戦争の慰霊施設が認定されるのは初めてで、地元は「戊辰から150年、ようやく正当な評価を得た」と歓迎している。

 白虎隊の自刃は、会津藩を旧幕府勢力の中心として敵視する新政府軍の会津攻撃の中で起きた。白虎隊は主に16歳から17歳の武家の男子で構成され、新政府軍から若松城(鶴ケ城)を死守するために投入された。だが劣勢は覆らず、退却の末に飯盛山(314メートル)にたどり着いた隊士たちは、炎と煙に包まれる城下を見て自刃したとされる。

 飯盛山中腹にある墳墓域は、明治23(1890)年に参道が整備され、19人の隊士の墓が建立された。その後、城下を守るため戸ノ口原などで戦死した31士の墓も設けられ、大正15(1926)年に墓前広場を造成する拡張工事が行われ、現在の姿となった。

 19士の墓石は墳墓域北側に並び、墳墓域には戊辰戦争時に自刃、討ち死にした武家の女性ら約200人を慰霊する「会津藩殉難烈婦碑」も含まれる。このほか石灯籠や墳墓沿革碑、ローマ市寄贈の碑などが建つ。周辺は会津弔霊義会が中心となって整備され、毎年春と秋に墓前広場で慰霊の剣舞を行うなど、地元を挙げた保護活動が続いている。

 戊辰戦争関連では、会津藩が籠城した若松城、白河戦争の舞台となった小峰城などが国史跡となっているが、会津若松市の市教委文化課の近藤真佐夫主査は、「城としての評価で、戊辰戦争への評価ではない。150年かけ、あの戦争の位置づけが歴史の中で定まったといえる」と語った。

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