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【今こそ知りたい幕末明治】西郷と運命ともにした熊本士族

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西南戦争錦絵 薩肥戦略記(鹿児島県立図書館蔵)
西南戦争錦絵 薩肥戦略記(鹿児島県立図書館蔵)

 明治6年、征韓論に敗れ官職を辞し鹿児島に戻った西郷隆盛は、肥後出身の士族、池邊(辺)吉十郎(1838~1877)と親交を重ねていたことが、近年見つかった西郷が池邊に宛てた手紙から分かる。例えば、明治9年に送られた手紙は、西郷が熊本で池邊に会ったことへのお礼状である。島津公と桜島へ温泉に行っていたため、お礼状を書くのが遅くなってしまったとわび、漢詩を贈っている。

 島津公とは最後の藩主、島津忠義であり、西郷と忠義公は良好な関係にあったことが伺える。漢詩の内容は次のようなものである。

 三太郎南返故郷(三太郎南のかた故郷に返れば)

 薩山深處為花峡(薩山の深き処花峡と為る)

 熊城春色容相憶(熊城の春色容に相憶(おも)うべし)

 雖去猶存侠骨香(去ると雖も猶(な)お存す侠骨の香り)

 「南を目指して故郷へ帰ったが、薩摩の山々の奥深いところは桜の花が咲き匂う山あいとなっていた。熊本の町の春景色はきっといつまでも忘れないだろう。立ち帰ったけれども硬骨漢のあなたの温情は、今も私の胸のうちに馥郁(ふくいく)と香(かお)っている」(松尾善弘『西郷隆盛漢詩全集』より)

 池邊を思う西郷の気持ちが伝わってくる。

 明治9年1月5日、西郷が設立した私学校の生徒の不穏な動きを察し、池邊は佐々友房を連れ鹿児島へ向かった。途中、佐々は池邊にこう語った。

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