PR

地方 地方

【かながわ美の手帖】平塚市美術館「小倉遊亀展」 明るくほほ笑ましく 生涯「無手勝流」貫く

Messenger

 小倉遊亀(ゆき)の絵って、こんなに楽しかったのか-。平塚市美術館で開催中の「小倉遊亀展」を歩くと、気持ちが安らぐ。大磯や北鎌倉に住んだ湘南ゆかりの女流日本画家。文化勲章受章者でもある遊亀のおよそ70点の出品作に、深刻さや苦しさはみじんもない。「親戚(しんせき)のおばさんのよう」と館長自らが評する人物画や、画家自身が「無手勝流」と称した静物画に癒やされ、湘南らしさそのままの明るさにホッとする。

 ◆オブラートに包み

 改めて遊亀の生没年を西暦で記すと、1895~2000年。20世紀がすっぽり収まる。生まれは滋賀県の大津。奈良での学生時代、安田靫彦(ゆきひこ)の作品と出会って心酔する。大正9(1920)年、横浜のミッションスクール、捜真女学校の教員となるや、大磯に住む安田を訪ね、思いの丈を伝えて門下にしてもらった。

 15年、院展初入選。「いろいろな苦労」をしつつも、絵が一番の楽しみ、生きがいとなった遊亀は、大磯に転居。一方で、昭和10(1935)年から熱海の精神修養道場、報恩会に通い始める。翌11年には山岡鉄舟の高弟で北鎌倉の禅徒、小倉鉄樹と出会い、教えを受ける。その翌々年、鉄樹と結婚し、北鎌倉に移居。遊亀芸術の底流にある「信仰心」を培い、「自分の本心の自由自在な愉快な心」の探求を、創作のいわゆるモチベーションとしていった。

 美術評論家で同館館長の草薙奈津子は「昭和の初めから活躍し、近代と現代の橋渡しをされた。それだけに、非常に考え、苦労なさって小倉芸術を創(つく)り出した方だと思うが、それが気持ちよくオブラートに包まれている」と解説する。

 ◆作品全てが自画像

 展示は(1)黎明(れいめい)(大正期から終戦直後まで)(2)飛躍(戦後の開花期)(3)成熟(昭和40年代から晩年まで)-の3部構成だ。

 (1)の「浴女 その一」は戦前の代表作とされる。タイル張りの浴槽に揺らぐ透明なお湯。人の体とタイルの線の屈折を、遊亀自身も裸になってスケッチブックをぬらしながら写生したという。昭和モダンの香りがする。

 (2)の「良夜」とは仲秋満月の夜の意味だが、月を描かずに、裸婦の肌の色で月明かりを表現している。ピカソの絵を思わせる。

 「コーちゃんの休日」は歌手の越路吹雪がモデル。遊亀が「大ファンだった」(孫の小倉健一)といい、越路も「とがった頬骨、手や足つきなど全てに自分の癖が出ている」と。マティスの影響も見て取れる。

 (3)の「径」は遊亀の代表作の一つ。明るく温かく、ユーモラス。いかにも自然でシンプル。そんな世界観を描き切っている。「犬の前脚の上げ方で1カ月ぐらい悩んだらしい。女の子の顔には目鼻が全然描かれていない」(同)という。

 「智子ちゃん」は遊亀92歳の作品。最後の人物画だが、あえて静物画コーナーに展示した。「その方がすんなり収まったから」と学芸員の勝山滋は語る。

 「つぼ、植物、少女が互いに対話、共存し、高め合っているように見える。遠近法無視の無手勝流の自由さ。女流ゆえの苦しみを乗り越え、『物みな仏』と考えるに至った画家の『自画像』にも見える」(勝山)。作品全てが自画像。その極致が105歳での絶筆となった「盛花」なのだろう。=敬称略(山根聡)

                   ◇

 「小倉遊亀展」は平塚市美術館(平塚市西八幡1の3の3)で18日まで。午前9時半から午後5時(入館は午後4時半まで)。月曜休館。観覧料は一般900円、高校・大学生500円など。問い合わせは同館(0463・35・2111)。

                   ◇

【プロフィル】おぐら・ゆき

 明治28年、現在の大津市に生まれる。遊亀は本名。奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)卒。大正9年、横浜で教鞭(きょうべん)をとる傍ら、大磯在住の日本画家、安田靫彦に入門し、以後終生師事。昭和7年、女性初の日本美術院同人に推挙される。13年、北鎌倉在住で山岡鉄舟門下の小倉鉄樹と結婚。29年、上村松園賞、37年、日本芸術院賞受賞。55年、女性で3人目の文化勲章受章。平成12年、105歳で死去。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ