PR

地方 地方

【坂東武士の系譜】第4部・激動の時代(1)小山持政 古河公方支えた「兄弟の契盟」

森戸果香筆「小山持政像」(栃木県立博物館所蔵、提供)
Messenger

 享徳の乱(1454~82年)で室町幕府や関東管領・上杉氏と戦った古河公方・足利成氏(しげうじ)は、小山持政の武力を頼った。

 小山氏はいったん断絶し、同族の結城基光が次男・泰朝に名跡を継がせ、重興小山氏として再スタートした。次の世代の持政は結城氏の影響力が大きい状況を脱却、独自勢力として力を伸ばす。幕府と鎌倉公方が対立した永享の乱(1438~39年)や鎌倉公方・足利持氏(もちうじ)の遺児・春王丸らを擁して結城氏朝(うじとも)が蜂起した結城合戦(1440年)では幕府側に立ち、同族の結城氏と戦った。

 だが、その後は春王丸の弟で鎌倉公方に就いた成氏を支える立場に転じる。江の島合戦(1450年)以来の持政の奮闘をたたえる成氏の文書が残り、「兄弟の契盟」といわれる関係を築いた。成氏が鎌倉に戻れず、本拠地を移し「古河公方」と呼ばれるようになると、小山氏との関係はますます密接になる。

 小山市立博物館の佐久間弘行さんは「その都度、情勢を見極め、功名を上げるチャンスをものにした。成氏側も持政の軍事力を頼り、双方にメリットがあった」と指摘する。

 晩年、持政は幕府からの帰順命令に従い、成氏から離れる。県立博物館学芸部長、江田郁夫さんは「幕府からの再三の誘いは成氏側のキーマンとみられていたから。一族、家臣あっての当主。状況は思惑通りに運ばなかったが、先を見て柔軟に判断した」とみている。

                   

【用語解説】小山持政(おやま・もちまさ)

 ?~1470年代? 幼名・藤犬丸。小山満泰の子。系図上の祖父・小山泰朝と満泰が同一人物との説も有力。嫡子・氏郷、嫡孫・虎犬丸を先に亡くし、長く当主を務めた。

                   

 参考文献は、「小山氏の盛衰」(松本一夫、戎光祥出版)など。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ