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姫路モノレールを今に伝える 元運転士・米田さん、廃線跡案内「未来の乗り物だった」

姫路の市街地に残るモノレールの遺構(右奥)を案内する米田さん(手前)
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 昭和40年代に営業していた姫路市営モノレールの元運転士、米田照美さん(71)が、10月に開催されたモノレールの廃線跡を巡るイベント「手柄山まちあるき」に案内役の一人として参加した。市街地に残る軌道の一部や橋脚など、今では数少なくなったモノレールの痕跡を約30人の参加者とともに歩いた。「自分にとって、モノレールは誇らしい未来の乗り物だった。かつて姫路にそんな車両が走っていたことを今の人にも伝えたい」と語る。 (荒木利宏)

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 「点検車に乗ってモノレールの保線管理をしていた同僚が、高架下のラーメン屋から注文したラーメンを皿ごとつり上げ、点検車の中で食べていた」。イベントでは当時を知る米田さんならではのエピソードが次々と飛び出し、参加者が興味深そうに聞き入った。

 姫路市営モノレールは、市内の手柄山などを会場に開催された「姫路大博覧会」(昭和41年4~6月)の輸送手段として開業。姫路-大将軍-手柄山の3駅約2キロ弱の距離を約5分で結んでいた。

 米田さんが運転士になったのは開業直後。「当時の上司からは『夢と希望に満ちた将来性のある職場に就職したのだからがんばれ』といわれた。車体も丈夫で軽い最新式で、未来を感じた」と話す。

 しかし、モノレールは姫路大博覧会が終了すると乗客数が伸び悩んだ。

 「手柄山で行われていた花火大会の時に混み合う程度で、普段は市民から『空気を運んでいるのか』といわれるほど乗客が少なかった」

 利用客の低迷が続く中、開業に伴い採用された同僚たちは市の別の部署に異動したり、見切りをつけて民間企業に移ったりし、モノレールの担当部署の規模は次第に縮小。モノレールは利用客が戻ることがないまま昭和49年に営業を休止。54年に廃止された。

 赤字まみれで廃止に追い込まれた負のイメージが長くつきまとっていた姫路市営モノレール。しかし、廃止から40年近くが過ぎ、廃虚化した廃線跡のたたずまいが関心を呼び、軌道や橋脚跡などを巡るイベントが行われるようになった。

 米田さんのもとにも大学の研究者から当時のことを教えてほしいという問い合わせが来ており、米田さんは「運行に関わっていた者として、関心を持ってもらえるのはうれしいこと。今は姫路のモノレールのことを多くの人に知ってほしいという思いでいっぱい」と話している。

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