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【今こそ知りたい幕末明治】脱獄成功を告げる一発の銃声

玄界灘に浮かぶ姫島
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 慶応元(1865)年7月、福岡藩で起きた「乙丑(いっちゅう)の獄」により玄界島に流されていた志士2人が、極秘のうちに打ち首に処せられた。福岡藩を脱藩し、長州に潜伏していた藤(ふじ)四郎は、この情報を得て憤りを感じ、その災いが玄界灘に浮かぶ姫島(福岡県糸島市)に流罪中の野村望東尼に及ぶことを懸念した。

 藤は、高杉晋作に従い奇兵隊に所属していたことがあった。それ以前にも、平野国臣とともに生野の変に参加し、五卿の太宰府遷座に随従し、望東尼の隣家で起きた喜多岡勇平暗殺事件に関与し、さらには対馬の佐幕派勝井五八郎の暗殺にも加担した。行動的な人物であった。

 同年9月初旬、第2次長州征討において長州藩を劇的な勝利に導いた高杉晋作は、下関の豪商、白石正一郎宅で病床についていた。

 藤はまず高杉の主治医である石田清逸に望東尼の救出を相談した。石田は、福岡の蘭方医で野村家と懇意にしていた百武万里の弟子で、自身もかつて野村家の世話になっており、恩義を感じていた。石田は藤から話を聞くと、病床の高杉にこれを伝えた。

 高杉は、この作戦に乗った。高杉が動いて、ついに望東尼救出作戦を実行する時がきた。

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