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大阪・狭山池の巨石は大王の石棺か 水路に転用

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 飛鳥時代に築かれた狭山池(大阪狭山市)でかつて発掘された水路用の巨石は、古墳時代の大王らを葬(ほうむ)った石棺だった-。府立狭山池博物館の西川寿勝学芸員が、巨石の特徴をもとに製作時期を絞り込み、被葬者に迫る説を打ち出した。仏教伝来で知られる欽明天皇、聖徳太子の弟の来目(くめ)皇子らが候補という。同館(同市池尻中)の特別展「王者のひつぎ」で紹介されている。25日まで。

 狭山池は周囲約3・4キロで、川をせき止めたダム形式のため池としては国内最古。奈良時代の僧・行基(ぎょうき)や鎌倉時代の僧・重源(ちょうげん)らが大規模に改修した。

 巨石は、大正時代末~昭和初めと、昭和末~平成初めの改修工事で計20点以上が出土。最大のものは長さ2・6メートル、幅1・3メートル、高さ約1メートル。内部がくり抜かれ、石棺の本体とみられる。家の屋根のような形の石材もあり、5~6世紀の大型古墳で使われた「家形石棺」とされている。重源による改修の際に複数の古墳から運び出して水路に転用されたという。

 西川さんは、「王者のひつぎ」と呼ばれる大型の家形石棺が多いことから「もとは大王クラスの古墳にあった可能性が高い」と指摘する。

 そのうえで、大正~昭和初めに見つかった石棺の蓋石(長さ2・2メートル、幅1・4メートル)は、形状から7世紀初めと推定。狭山池から約6キロ北東の来目皇子墓(羽曳野市、一辺50メートル)を候補に挙げる。「狭山池近辺で7世紀初めの皇族クラスの古墳は来目皇子墓以外になく、ここから運び出されたのではないか」とする。

 一方、巨石群の中で最も大きい2つの石材(長さ2・5メートル前後、幅1・3メートル前後)は、約8キロ北にあり国内5番目の巨大前方後円墳、河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市、335メートル)にあった石棺と推測。「大型の2つの石棺を納めるには、相当大きな石室が必要」とし、同規模の石棺が2つ納められ欽明天皇の墓とされる丸山古墳(奈良県橿原市、318メートル)に匹敵する規模である河内大塚山古墳が最有力とする。

 日本書紀では、欽明天皇の死後、「古市(河内)」で葬送儀礼の一つ「もがり」が行われ、その後に飛鳥に葬られたと記述。「いったん河内大塚山古墳に埋葬され、その後、丸山古墳に改葬されたのでは」という。西川さんは「水路に転用された石棺だけでは古墳をイメージしにくいかもしれないが、被葬者と結びつけながら当時に思いをはせてほしい」と話す。

 特別展では水路に転用された石棺などを展示、入館無料。4日午後2時から、西川さんと塚口義信・堺女子短大名誉学長の講演会が開かれる。

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