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【平成のヒーローはこうして生まれた】薩摩剣士隼人(上) ぼっけもんの挑戦 誰もが楽しめるキャラ作ろう

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 「未確認生物はいない。もう一度、ヒーローものをやろう」。外山は30歳を過ぎて、決意を新たにした。

 着ぐるみ制作、イベント運営の「アドベンチャー」を設立した。ヨーヨーなど昔ながらの遊びを通して、楽しく生きることを教えるヒーロー「オモチャキッド」を制作した。美術造形の監督は、中学時代からの盟友・竹原だった。

 各地でショーを開くと、オモチャキッドの人気は、じわじわと高まった。地元の南日本放送(MBC)から「テレビ番組にしないか」と声がかかった。スポンサーがいないまま、放送枠を無償で提供するという「破格」の条件だった。

 とはいえ、外山は素人だ。テレビ番組を作るには、サポート役が欠かせない。加わったのが鹿児島市の広告代理店「ツーウェイズ」社員の原田だった。

 天の配剤だった。原田はテレビCM制作の経験がある。何より、外山と同様、特撮好きだった。竹原も含め、特撮談義が始まれば、とどまることはなかった。

 オモチャキッドの放送は16年に始まり、18年まで続いた。

 このオタク3人が、オモチャキッドに続いて生み出したのが、薩摩剣士隼人だった。

 × × ×

 薩摩剣士隼人は最初から、テレビに出ることを目指した。原田が勤めるツーウェイズの社長、小野大(54)の知恵だった。

 彼らがプロジェクトに取りかかった平成18年、ゆるキャラ「ひこにゃん」が誕生し、ゆるキャラブームに火がついた。前後して、全国各地にご当地キャラが生まれた。

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