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【坂東武士の系譜】第4部・激動の時代プロローグ(5)享徳の乱 所領一円支配、戦国大名の誕生 栃木

小山氏居城、祇園城跡は城山公園として整備されている=小山市
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 享徳の乱(1454~82年)と同時期、京では応仁の乱(1467~77年)が起きた。応仁の乱は戦国時代の始まりとされるが、戦乱の時代への移行は、まず関東で始まった。

 県立博物館学芸部長、江田郁夫さんは「直接的影響はみられないが、将軍の有名無実化と関東での状況は基本的に重なっている」との見方を示す。有力武家は鎌倉時代以降、恩賞などで各地に所領を得たが、江田さんは「分散した所領よりも一円的な支配が形成されていく。戦乱の中で、各地に戦国大名と呼べる武家が現れてくる」と指摘する。

 享徳の乱の後も戦乱は収まらなかった。関東管領・上杉氏では、文明18(1486)年に扇谷(おうぎがやつ)家の筆頭重臣・太田道灌(どうかん)が主君・上杉定正に暗殺された。さらに山内(やまのうち)と扇谷の上杉両家の抗争、長享の乱(1487~1505)が起きる。上杉両家が和睦すると、古河公方・足利政氏(まさうじ)は北条早雲に対抗するため、上杉両家と組むが、長男の足利高基(たかもと)と対立。今度は古河公方の内紛が起きる。

 有力武家も似たような内部対立を抱えていた。宇都宮氏では宿老・芳賀氏を誅殺、一族の内紛に発展する宇都宮錯乱(1512~14年)が勃発。那須氏は上那須、下那須の両家に分裂していく。関東では北条氏が勢力を拡大。一方、上杉氏は関東を追われ、重臣・長尾氏を頼る。ついには長尾景虎(上杉謙信)が関東管領職と上杉の家名を継承する。

 北条氏や謙信ら強力戦国大名の抗争の最前線となった関東では伝統的な有力武家が外圧への対応をめぐって右往左往していくのである。

                   

 参考文献は、「享徳の乱」(峰岸純夫、講談社)、「下野の中世を旅する」(江田郁夫、随想舎)など。第4部プロローグはおわり。本編は10日から土曜掲載予定。

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