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九州電力、再エネ計4日の出力制御 停電回避へ「最後の手段」

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 太陽光発電の一時停止でブラックアウトを防ぐ-。九州電力は2週連続で週末の計4日、再生可能エネルギーの発送電を抑制する出力制御を実施した。経緯をみると、再エネの急速な普及で、電力需給のバランスが崩壊する一歩手前にあり、九電が「最後の手段」として、出力制御に踏み切ったことが見て取れる。 (中村雅和)

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 9月。九電の電力輸送本部運用計画グループは連日、緊迫した議論を続けていた。

 同グループは毎日、天気予報などを基に、数日後の電力の需給見込みを策定する。緊迫したのは、気温が下がれば冷房需要が減って「供給過多」に陥ることが、分かっていたからだ。

 電気は貯蔵できない。需要と供給のバランスが大きく崩れると、大規模停電(ブラックアウト)が起きる。9月の北海道地震では、「供給不足」でブラックアウトが発生した。九州は、「供給過多」による停電の危機に直面する。

 理由は再エネの急速な普及だ。特に急増した大規模太陽光発電所(メガソーラー)は、好天時には大量の電気を送電網に流し込む。

 九州の再エネの発電能力は、全需要の最大8割を超えるまでになった。

 ◆火力に無理強いる

 ただ、太陽光という名の「巨大電源」は、日が落ちると発電量がゼロになる。昼間は電気が余るからといって、原発や火力発電所を停止してしまえば、夜間に電力不足に陥る。

 九電は、昼間の火力発電の抑制や、蓄電池の役割を果たす揚水発電のフル稼働など、調整を続けた。

 10月に入ると、「供給過多」はいよいよ本格化した。九州外への送電の拡大も、限界がきていた。

 11日、九電は2日後の出力制御を決める。

 九電の運用計画グループの社員ら6人は、中央給電指令所に12日夜から泊まり込み、状況を見守った。13日午前9時、全国初の出力制御が実施された。

 送配電カンパニー電力輸送本部の和仁寛部長は、福岡市内で記者会見し「太陽光が急速なスピードで入ってきたことに、設備増強が追いついていない。今の範囲で活用できる対策は、すべて総動員している」と述べた。

 九電は当然、出力制御当日も火力を抑制した。

 苓北発電所(熊本県苓北町、石炭火力)の場合、タービンに送る蒸気の温度を下げることで、出力140万キロワットのうち、9万キロワットの稼働とした。

 石炭火力は頻繁な出力調整を想定しておらず、設備に無理を強いた運転といえる。因果関係は不明だが、苓北発電所1号機は19日、蒸気タービンの振動が異常に高まり、停止した。

 ◆かつては反対

 九電の出力制御に、反発する太陽光事業者もいる。だが、出力制御は国が定めた「優先給電ルール」に沿って実施する。再エネ事業者も、ルールを受け入れた上で、参入したはずだ。

 また、反原発を掲げる九州7県の共産党は22日、九電に、再エネの出力制御を自重するよう申し入れた。

 申し入れでは「欧州では、再エネ優先給電の立場から、原発を含めた他の電源を出力変動させることで対応している」と記した。

 だが、「原発の出力変動」にかつて大反対したのは、反原発派だった。

 昭和62~63年、四国電力の伊方発電所2号機(愛媛県)で、出力を100%から50%に低下させ、さらに戻す試験が実施された。

 これに反対運動が起きた。低出力下で発生したチェルノブイリ原発事故(昭和61年4月)を、想起させたからだった。

 伊方とチェルノブイリは原子炉の方式がまったく異なり、試験内容も態勢も違う。それでも四電本社周辺で座り込みが続くなど、抗議活動は激化した。

 原子力委員会(当時)は63年版の原子力白書で、「反対する人々は科学的根拠の乏しい主張を行い、結果として原子力発電に関する国民の理解を混乱させることとなった」とした。

 平成23年7月のしんぶん赤旗は、当時を振り返る記事の中で、共産党元県議の話として「通常の運転でも危険な原発をさらに危険にするものとして出力調整に反対してきました」と掲載した。

 原発の出力調整の実験が進んでいれば、再エネ制御はもっと抑えられたかもしれない。ご都合主義ではなく、科学的根拠に基づいた議論をしなければ、エネルギーをめぐる混乱は続く。

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