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【平成のうまいものはこうして生まれた】前人未到、宮崎牛が和牛五輪3連覇

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 ■1位以外は『以下同文』だ

 「先週と今週で、明らかに肉質が違う。品質が安定しないと、信用できない。『日本一の牛』が泣くよ」

 平成21年2月、JA宮崎経済連の肉用牛課長、有馬慎吾(51)は、長い付き合いの食肉店主から、こう言われた。経済連グループは、宮崎県最大の食肉卸業者でもある。有馬は、この指摘を「来るものが来た」と聞いた。

 19年秋、宮崎県の和牛は全国和牛能力共進会(全共)鳥取大会で、種牛、肉牛部門で日本一にあたる「内閣総理大臣賞」を初受賞した。全共は5年に一度開かれ、「和牛のオリンピック」と呼ばれる。総理大臣賞になれば、「日本一の牛」を名乗ることができる。

 その「日本一」が泣くという。消費者は気付かなくても、プロの目はごまかせないような「品質の差」が宮崎牛にあった。原因は、子牛の違いだった。

 肉質などに加え、宮崎牛の基準に「最長飼育地が宮崎県の黒毛和種」とある。他県から買ってきた子牛でも、宮崎で長く育てれば、宮崎牛を名乗れる。

 宮崎県は昭和40年代以降、より肉質の良い子牛生産に、力を入れてきた。その蓄積がある。

 半面、1頭当たりの価格は、県外の子牛に比べて、5万円も高かった。年間1千頭を出荷する大規模肥育農家であれば、子牛の仕入れ値だけで5千万円も違ってくる。

 県外産の子牛でも、同じ「宮崎牛」で売れる。数字だけを考えれば、安い方を使うのが合理的だ。宮崎の肥育農家の3割は、県外産の子牛を育てていた。

 だが、日本一となり、ブランド力が向上した今、わずかな品質の差を見過ごせば、ブランドが大きく傷つく事態になりかねない。

 「県産子牛に限るなど、宮崎牛の基準をより厳しくすべきです」

 有馬は21年6月、県内の肥育牛農家のリーダーを集めた会議で、こう訴えた。

 賛成6割、反対4割だった。有馬は引かなかった。「流通業者に信用されないと、肉の価格は上がらない。厳しい基準は、農家の所得向上につながる」。説得を重ねた。

 22年4月、口蹄疫(こうていえき)が発生した。宮崎の畜産業界にとって、悪夢だった。有馬も対応に追われた。

 病気対応が一段落した後、有馬はピンチをチャンスに変えようと試みた。

 殺処分で飼育牛を失った肥育農家を回り、訴えた。「再開時は、宮崎生まれの牛だけを導入してほしい」

 ブランドを守り、所得を向上させる。有馬の声は、窮地の農家に広がった。

 JAや県などでつくる「より良き宮崎牛づくり対策協議会」は、27年4月に「宮崎生まれの牛」を、29年4月には「県内の種牛」を宮崎牛の条件とした。品質は安定し、流通業者の評価も、さらに上がった。

                × × ×

 宮崎牛は、平成24年の長崎全共でも、種牛部門で内閣総理大臣賞に輝いた。

 その直後、関係者は「5年後の全共で前人未到の3連覇を果たし、口蹄疫からの完全復活を」と語るようになった。

 3連覇は、並大抵の努力では実現できない。

 生産者やJA、県庁などで組織する全共県推進協議会(推進協)は「日本一の努力と準備」をスローガンに掲げた。

 大きな課題の一つが、種牛の輸送だった。

 29年9月の大会は、東北の宮城県で開かれる。宮崎県からは、道なりで1600キロもある。

 苦い記憶があった。

 平成9年の全共岩手大会だった。トラックで運んだ牛のコンディションが悪化した。毛並みは乱れ、痩せた牛も目立った。

 「俺の牛はどこだ?」

 生産者が、手塩にかけた牛に気がつかないほどだった。成績も振るわなかった。

 同じ轍を踏めば、3連覇は夢のまた夢だ。

 特に悩んだのは、輸送スピードだ。

 途中に停車時間を挟む方が良いのか、一気に走りきって総輸送時間を短くする方が良いのか、机上では結論がでない。

 「輸送でも、日本一の準備をしよう」

 推進協のメンバーは28年秋、実際に宮城県まで牛を運び、確かめることにした。県畜産振興課主幹の鴨田和広(49)が、実務の中心を担った。

 農業団体、生産者、輸送業者の3者で、計画を練った。

 情報漏れに気をつけた。

 鹿児島県をはじめ、九州には全共のライバルが多い。どの県も、長距離輸送のダメージを抑える工夫をしている。手の内を明かすことは、できない。

 計画策定は、宮崎県庁の奥まった一室で、ひそかに進めた。県幹部や課内にさえ詳細を知らせない。「あの件」「例の件」と話し、決して「輸送」とは口にしなかった。

 唯一、宮城県には事前に話をした。輸送した牛が何らかの病気にかかっていた場合、取り返しがつかないからだ。

 「防疫上は絶対に問題ないことを約束します。全共で勝つための対策なので、どうか秘密にしてほしい」。そう申し出た。

                × × ×

 試験輸送には、高原町にある県畜産試験場の雌牛を、使うことになった。

 輸送の出発地にもこだわった。

 畜産業界は狭い世界だ。漏洩(ろうえい)のつもりはなくても、「試験場でトラックが牛を積んでいた」など、ちょっとした発言から、「宮崎が何か実験をしている」と広がる可能性がある。

 鴨田らは、まず畜産試験場から、小林地域家畜市場(小林市)に牛を移した。

 牛の競りをする市場なら、トラックで牛を運ぶのは日常風景だ。さらに、高速道路の入り口まで約1キロの道沿いに、民家はほぼなかった。

 28年10月17日、それぞれ牛6頭を乗せたトラック2台が、宮城県へ出発した。

 九州道、中国道、北陸道、磐越道、東北道-。荷台に直射日光をなるべく当てないように、山中や日本海側のルートを選んだ。

 1台は最低限の休憩で走り通し、22時間で宮城県に入った。もう1台は長めの休憩を挟んで、30時間かけた。

 トラックには県職員も1人ずつ同乗し、牛の様子を観察した。到着後は、食欲や体重を計測し、獣医師が採血し、体調を調べた。

 その結果、走り通しの方が、牛に与えるダメージが小さいことが分かった。

                 × × ×

 29年9月7日、第11回全共が開幕した。

 全共は種牛と肉牛(枝肉)の計1~9区ごとに、1位を決め、その中から種牛と肉牛の総理大臣賞が決まる。成績は、牛の体つきや、立ち姿、毛並みなどで決まる。

 9月10日、各区の最終順位を決める審査があった。

 日本一の準備にもかかわらず、宮崎牛の成績は振るわなかった。発表される順位は2位以下ばかり。関係者は焦った。

 5区でようやく風向きが変わった。母牛4頭を1セットで審査するこの区で、ようやく1位を取った。

 西諸県(にしもろかた)郡市畜産販売農業協同組合連合会(西諸畜連)の業務部長、岡原広明(53)も、その場にいた。岡原は開催地の牛を偵察しようと、前年に宮城県に行った。

 「努力がちょっとは報われたな」。肩の荷が少し下りた。

 10日の審査結果、宮崎牛は5、7、8区で1位となり、日本一への挑戦権を得た。

 翌日は全共最終日であり、総理大臣賞が発表される。

 会場全員が固唾をのむ中、運命のアナウンスが流れる。肉牛の部で、宮崎県の肉が、総理大臣賞に輝いた。

 1頭の牛を育てる苦労。その牛を奪った口蹄疫と、そこからの復活-。岡原らは抱き合い、拳を突き上げ、口では表せない歓喜を表現した。

 それでも、全共から日数が経過すると、複雑な思いを抱く生産者もいた。

 小林市の和牛繁殖農家、森田直也(43)は、その1人だ。森田が出品した種牛は2位だった。長崎県大会では1位で、総理大臣賞も獲得していた。

 「1位じゃないと、表彰状は『以下同文』だ。5年後は1位以外、狙ってない」

 次の全共は34年、鹿児島県で開かれる。森田の誓いは、宮崎牛に関わる人々に共通している。(敬称略) =おわり

                   ◇

 この連載は中村雅和が担当しました。

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