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【被災地を歩く】「いいたて雪っ娘かぼちゃ」収穫 生産広がり飯舘復興にも実り

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 飯舘村で生まれ、東京電力福島第1原発事故後は福島市などの村外で育てられていた「いいたて雪っ娘かぼちゃ」。12月中旬から県内のイオンなどで販売される。昨年からは“故郷”の飯舘村でも耕作が再開され、村のブランドとして存在感を高めている。

 福島市松川町の畑で今月4日、「いいたて雪っ娘かぼちゃプロジェクト協議会」やイオンの社員ら約20人が今年の雪っ娘かぼちゃを収穫した。その数、約1千個、重さにして1トン強だった。

 耕作した同協議会の渡辺とみ子さん(64)によると、出来栄えは「粒がそろって理想の大きさ」。かぼちゃは、より甘みを出すために熟成させる。昨年、イオンで取り扱いが始まり、今年も12月中旬から県内のイオン6店舗、イオン系列の「ザ・ビッグ」6店舗で販売される予定だ。

 いいたて雪っ娘かぼちゃは、同村の元高校校長、菅野元一さんによって約30年の年月をかけて開発された品種だ。特徴は甘みの強さとほっこりした食感。「飯舘に降る雪のよう」と、名前の由来になった白い皮が目を引く。

 渡辺さんは品種の名前さえない時期から、中心となって育種に協力してきた。平成18年に「いいたて雪っ娘かぼちゃ」と命名され、飯舘の新たな特産として、スーパーや料亭への売り込みも始めた。パンやシフォンケーキなど商品もでき、品種登録も出願した。

 ◆避難先で営農

 そんな矢先、東日本大震災と原発事故が起きた。品種登録は地震の4日後。飯舘村は全村避難を余儀なくされ、渡辺さんも福島市に避難した。そして、雪っ娘かぼちゃ再起に向けた取り組みが始まった。

 同市内の借り上げ住宅に避難した渡辺さんは、5月の種まきの時期に合わせ、約50アールの畑を確保した。「せっかくここまできた。やめるなどありえない」という思いがあった。

 慣れ親しんだ飯舘の畑から離れ、営農は苦労続き。新しい畑は元々は水田で、かぼちゃを耕作するためにトラクターで整地する必要があった。おまけに土は耕作に向かない粘土質で水はけが悪い。種をまくのに難渋し、「土が悪くなる」と除草剤も使わないため草刈りにも追われた。種を植えて約1週間、初めて芽が出たときの喜びはひとしお。「涙が出た」と渡辺さんは振り返る。

 避難先での営農に弾みをつけ、翌年からは種の販売も開始、25年には市内の別の畑で耕作を始めた。「私も雪っ娘かぼちゃを作りたい」と、耕作に手を挙げる人も増えてきた。

 昨年4月、飯舘村は帰還困難区域を除き、避難指示が解除された。「何十年も飯舘で営農再開をすることは無理だと思っていた」と考えていただけに渡辺さんの喜びは大きい。解除後間もなく、住んでいた家の周辺2カ所で営農を再開した。村で収穫した作物は、地元の物産館「までい館」で売り出すが、「出したらすぐ売れちゃう」という。

 ◆未来に手応え

 「私が売ることで、かぼちゃ作りをする人が増えていけば」

 村内でも3人が雪っ娘かぼちゃを作り始めた。渡辺さんは雪っ娘かぼちゃの未来にたしかな手応えを感じている。目標は「収穫量のアップと品質の向上」だ。大分や山口、鳥取など、県外でも生産をする人が出てきた。「どんどん全国で、作る人が広がっています」と表情は明るい。

 「『いいたて』の名前が入ったかぼちゃが広がることで、村の存在を発信できる。この品種は飯舘の知的財産です」

 いいたて雪っ娘かぼちゃが飯舘村の復興にも実りをもたらしてくれている。(内田優作)

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