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【ハイ檀です!】D.I.Y.

白木で丁寧に作られた椅子
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 今、日曜大工と言えばよいのか、DIY(ドゥー・イット・ユアセルフ)とでも呼ぶのか、若者達の間で静かなブームが広がっている。テレビでも、有名タレントが本格的に内装を手がけたり、家をリフォームする姿を見かける。このDIYというブームは、30年ばかり前にもあったような気がする。いわゆるホームセンターという巨大な店舗が、郊外に続々と誕生。人々はこぞって道具や材料を買い込み、休みを利用して工作というのか日曜大工に励んだ。

 この言葉の発祥は、第2次大戦後ナチスドイツの攻撃で荒廃したロンドンの街を、自分達の手で蘇らせようとしたドゥー・イット・ユアセルフ運動で、これが現在のDIYの起源らしい。

 日本では、昔から分業制が確立されていた。互いの職業を敬い侵さぬことが、美徳とされていた。とは言え、武士や商人でも身分に関わらず、器用な人は道具を手に取り楽しんでいたようで、そんな中から発明品も多く生まれていたと聞く。僕の友人の中にも、日曜大工というか家具作りの趣味が昂(こう)じ、家具職人になってしまった人物がいる。家具職人ばかりではない、革細工に取り憑(つ)かれ作品を作り続けていたら、いつの間にか大家になってしまった輩もいる。また織物の世界でも、タイやカンボジアで失われつつある文化を憂慮し、伝統の再興に成功した知人がいたことを思い出した。

 僕の父は手先がかなり器用で、暇があるとノミやカンナを駆使して、引戸に木製の鍵を取り付けたり、炬燵(こたつ)のヤグラを組み立てたりしていた。そんな光景を眺めていた僕も、いつしか工作事を楽しいと思うようになった。が、ある日、道具を放ったらかしにしていたところ、大変な剣幕で叱られたことを思い出す。「道具は大切に扱わないと、よいものは作れませんよ。この道具は、職人さんが命をかけて作り上げたものです。もっと大切に扱いなさい」と厳しく諭された。

 しかし、今の世は大工道具というか、工作道具の形態がガラリと変わった。ノコギリにしてもノミにしても刃先を取り替えるだけ。砥石やヤスリを用いて、手入れをする必要がなくなった。更に、ホームセンターでは材料を切断したり穴を開ける道具が無料で自由に使える。作業スペースを持てない若者世代でも、根気さえあれば何とかなる有難いご時世が到来。世の中は、アナログからデジタルに移行し、消費文明になり変わったが、その中でアナログの魅力を再評価する若者が増えてきたことは、温かい気持ちになり嬉しい。

 先日、我が家の対岸にある小戸公園を愛犬を連れて散策していたところ、入り口近くにテントが設けられていて、白木の椅子や手作りの工芸品が置かれているのが目に入った。白木の小さな椅子がキラリと光って見えたので近寄ると、丁寧に作られた幼稚園児が座るような背付きの椅子であった。他にも、小振りのベンチや四角い小さな腰掛け。すべてが白木で作られて、ビスを用いた後には丁寧に木釘で目隠しを施されている。で、値段を知って驚いた。背付きの椅子が600円、平らな腰掛けは何と400円。これでは、材料費にも満たぬことは明らかである。

 テントの中の様子を見ていると、どこかの養護施設の方達が一人の指導員と共に手作りの作品を販売されていた。伺ってみると、公園の近くの生(いき)の松(まつ)原(ばら)特別支援学校に在籍されている障害を持った方々が、かなりの時間を費やして作ったものであることが判明。それにしても安い。申し訳ない気持ちでいくつか購入したら、全員が満面の笑みを持って「ありがとうございます」と、頭を下げられた。涙ぐんでいた妻は「植木の鉢を置くのに、もう少し頂きましょう」と、都合5点を購入。その後この素朴な家具と共に数日間暮らしているが、心が温まり目が和む。自分でものを作るのも良いが、こうした方々の支援も必要であると、いつになくセンチメンタルな気持ちになっている。

 我ら夫婦は、今年から後期高齢者の仲間入りをした。そろそろというか、今からでも終活運動と向き合わなくてはならない。仏教の悟りに『本来無一物』という言葉がある。裸で生まれ、裸で死に行くもの、と解釈しているのだが、実際の暮らしの中で裸で生きるのは難しい。己の思考と実生活のギャップに、ただただ悩むばかり。取り敢えず、授かった残りの日々を、素直に生き存(ながら)えようというのが、今日の結論。

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