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【坂東武士の系譜】特別編・再発見 藤原秀郷(5) 鉄身の将門射抜き乱を制圧

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 平将門が京に攻めてくる-。将門の乱(935~40年)は貴族社会に衝撃と恐怖を与えた。天慶3(940)年1月、参議・藤原忠文が征東大将軍に任命され、京を出発。ところが忠文の到着前に将門軍はあえなく滅んだ。「新皇」を称して約50日の将門を討ったのは藤原秀郷(ひでさと)だ。

 秀郷は、将門のいとこ、平貞盛と共に素早く4千人の兵を集めた。一方、将門は諸国の兵を帰してしまい1千人も残っていなかった。同年2月1日、秀郷・貞盛連合軍は将門軍副将、藤原玄茂(はるもち)の軍を難なく撃破。続いて将門軍も退却させた。

 そして同13日、将門の根拠地、石井(いわい)の営所(茨城県坂東市)を急襲。「将門記」によると、嵐の中の戦いだった。翌14日、将門軍400人が木々の枝を鳴らす暴風を背に奮戦。秀郷軍は2900人が逃げ去り、300人しか残らなかった。しかし、優位だった将門軍にすきができた。急な風向きの変化か、戦場を駆け回るうちに将門が風下に立ったのか、「いつの間にか神仏の射た鏑矢に当たって」将門は滅び去った。

 「御伽草子(おとぎぞうし)」の「俵(たわらの)藤太(とうた)物語」は少々違う結末だ。将門は7人の影武者がいたが、秀郷は将門の愛妾、小宰相を誘惑、弱点を聞き出す。「影武者は影が映らない。将門の体は鉄でできていて矢も通らないが、ただ1カ所、こめかみが生身」。秀郷は見事、将門のこめかみを射抜いた。

 別の伝承では、「こめかみが動くのが本人」と秀郷に漏らしたのは将門の愛妾、桔梗(ききょう)御前。茨城県取手市には追っ手に切られた御前が非業の死を遂げ、キキョウを植えても花が咲かないという桔梗伝説が残る。

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 県立博物館の企画展「藤原秀郷-源平と並ぶ名門武士団の成立」(27日~12月9日)では、将門の乱も描かれている重要文化財「歓喜天霊験記(かんきてんれいげんき)(伝天神縁起(てんじんえんぎ))」(文化庁蔵)などの貴重な史料が出品される。

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