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【平成のうまいものはこうして生まれた】宮崎牛(3)殺処分29万余頭、口蹄疫の地獄絵図

農場で口蹄疫の防疫作業にあたる自衛隊員=平成22年7月(陸上自衛隊提供)
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 平成22年、宮崎県の畜産農家は地獄を見た。牛や豚の伝染病、口蹄疫(こうていえき)が蔓延(まんえん)した。

 「出てしまったのは仕方ない。土地はこっちで用意するから、すぐに4千万円用意してくれ!」

 4月24日、宮崎県川南町農林水産課長の押川義光(58)は、電話の向こうの安愚楽(あぐら)牧場担当者に、強い口調で告げた。

 同社の児湯(こゆ)牧場で、感染が疑われる牛が見つかった。口蹄疫ウイルスは、極めて強い感染力を持つ。幼獣の場合、死に至るケースもある。

 家畜伝染病予防法では、1頭でも感染が見つかった場合、同じ牧場内の家畜は感染した可能性が高いとし、すべて殺処分が義務付けられる。死体は消毒し、地中に埋める。

 押川が電話でいった4千万円は、死体を埋却するための土地代だった。児湯牧場では700頭以上の牛を飼育していた。

 押川は焦っていた。

 町内には、畜産農家が密集する。封じ込めに失敗すれば、感染が拡大する。一刻を争う事態だった。押川は土地にめどをつけ、安愚楽牧場も4千万円を準備した。25日深夜に、所有者と牧場が、売買契約を済ませた。

 26日早朝から埋却する予定だった。だが、現場に行こうとする作業員の前に、近隣の畜産農家が立ちふさがった。

 飛んできた押川に、農家の面々は叫んだ。

 「埋却地は、俺たちの牧場から100メートルぐらいしか離れていない。ウイルスが飛散したらどうするんだ」

 「ここで食い止めないと、川南町が全滅する。理解してくれ。後のことは何でもする」

 1時間ほどの押し問答の末、農家は説得に応じた。埋却処分が始まった。

 だが、事態は関係者の思いを裏切っていく。5月に入ると連日、町内で牛の感染が発覚した。

 押川はそのたびに感染農家を訪れ、殺処分の実行を告げた。

 畜産農家が育てる牛や豚は、最終的には殺して肉にする。病気と診断され殺処分するのも、命を奪う行為には変わりがない。

 それでも、畜産農家はさまざまな葛藤を乗り越え、人間が生きていくために「ありがたく、命を頂戴する」と考える。だからこそ、出荷するまでは、大切に大切に育てる。

 それだけに、単に殺して埋める「殺処分」への抵抗は大きい。押川に怒りをぶつける者も多かった。

 「おまえに俺の気持ちがわかるか!」

 襟首をつかみ、殴りかかるような勢いの農家の男性もいた。押川は静かに語りかけた。

 「分かるよ。すべて分かる。分かるから俺がきたんだ。今は仕方ないんだ。病気がおさまったら、次のステップで、農家の面倒をみるように頑張る」

 押川は、祖父の代から続く牛飼いの家に生まれた。町役場に入ってからも、牛の世話を続けた。その牛も感染し、殺処分した。

 皆のつらさは、痛いほど分かった。その思いは政府にも向かった。

 宮崎県が非常事態を宣言した5月18日、農林水産副大臣の山田正彦が町を訪れ、対策会議に出席した。

 山田は政界進出前に、故郷の福江島(長崎県五島市)で畜産業を営んでいた。感染拡大の危機が続く状況に、焦りを感じていたのだろう。会議で「感染発覚から1カ月たって、まだ止められないじゃないか」と声を荒らげた。

 押川の感情が爆発した。

 「何をおっしゃっているんですかっ。農家や私たちは一生懸命やっている。感染を止められない責任の全部が、私たちにあるんじゃない!」

 押川は机をたたきながら訴えた。

 宮崎の関係者の間では、感染が拡大するまっ最中に、農水相の赤松広隆がキューバへ外遊したことなど、政府への不満が積もっていた。

 会議の場は静まりかえった。山田は会議終了まで、押し黙ったままだった。

                 × × ×

 翌5月19日、政府は防疫体制を見直した。感染していない牛や豚を含め、発生農場から半径10キロ圏内のすべての家畜を殺処分する方針を示した。

 10キロ圏内の農場では、ひとまずワクチンを打って感染拡大を抑え、時間を稼ぐ。その上で、殺処分する。牛や豚がいなくなれば、ウイルスも死滅する。

 農家は反発したが、政府、農水省は特別措置法を成立させ、損害を国が全額補償する枠組みを作った。

 22日、ワクチン接種が始まった。

 「今すぐ役場の玄関で、首をつってやる!」

 宮崎県都農(つの)町の和牛繁殖農家、黒木栄子(71)は電話でどなった。相手の町長、河野正和(59)は「栄子さん、落ち着いて。俺も一生懸命しよっとじゃから…」となだめた。

 栄子は夫の忠雄(70)とともに40年近く、繁殖農家として子牛を育ててきた。和牛のオリンピックと呼ばれる「全国和牛能力共進会」では、平成9年に部門1位に当たる優等首席を獲得した。

 夫婦は自宅前に消石灰を敷き詰めた。噴霧器を使って1日3回の消毒を欠かさなかった。農場の牛は感染せずに済んでいた。

 だが、周辺農場で口蹄疫が発生し、夫婦の牛も殺処分対象となった。

 5月23日、ワクチンを打つため、獣医師がやってきた。ワクチン接種後は、殺処分を待つだけとなる。

 その運命を知るはずもないが、牛は後ずさりした。

 夫婦は子牛を抱きかかえ、親牛は鼻をつかんで、抵抗を抑えた。

 栄子は泣きじゃくった。

 「泣くな。泣いても仕方ないじゃないか」。忠雄は妻にそう声をかけた。地獄絵図だった。

 その後も夫婦は、日課の消毒を続けた。

 ワクチンを打っても、抗体ができるまでは時間がかかる。殺処分の前に感染すれば、病気で苦しむ。

 せめて、きれいな体で死を迎えさせたい-。牛飼いとしての意地だった。

                 × × ×

 あちこちの畜舎から、牛や豚が消えた。関係者の悲しみと汗が染みた地面に、白い消石灰がまかれた。

 伝染病は終息した。知事の東国原英夫が8月27日、口蹄疫終結を宣言した。

 宣言までに牛や豚など計29万7808頭が殺処分された。損失額は畜産業だけで1400億円、観光などを加えれば計2350億円に達した。

 それでも宮崎の畜産農家は、再起した。全国から支援が寄せられた。

 山形県米沢市にある米沢佐藤畜産社長の佐藤秀彌(63)は、宮崎県高鍋町の高鍋農業高校(高農)に、宮崎生まれの子牛を届けた。

 江戸時代、名君として知られた米沢藩9代目藩主の上杉鷹山(ようざん)は、高鍋藩6代藩主、秋月種美の次男だった。以来、両地の交流は続く。

 「鷹山公のご恩を、少しでも返したい」。佐藤は全頭殺処分が始まったころ、宮崎県教育委員会に、終息後の支援を申し出ていた。

 佐藤は9月30日、宮崎県新富町で開かれた子牛の競り市に参加した。

 生後16カ月の雌牛「みちみち5号」が目にとまった。他の牛に比べ、明らかに抜きんでていた。

 宮崎県のエース種牛「忠富士」を父に、「安平」を曾祖父に持つ。2頭とも殺処分されただけに、復興の象徴となりうる牛だった。

 価格はみるみる上がった。佐藤は、どんな高値になっても引くつもりはなかった。最後は247万円で競り落とした。

 「高農の生徒も、すべての牛を殺処分され辛かっただろう。復興に頑張ってほしい」。佐藤は相場の2倍以上払った子牛を、高農に贈った。

 高農に届いた牛の世話を、黒木忠雄・栄子夫婦も手伝った。

 夫婦は口蹄疫後、畜産農家をやめていた。「どんな事情があるにせよ、自分たちは牛を守れなかった」。殺処分時のトラウマに加え、自責の念もあった。

 特に、栄子は落ち込んでいた。

 「生徒の指導で牛に関われば、少しは気が晴れるのではないか」。高農からの呼びかけもあり、夫婦は12月から週末を中心に学校に通い、生徒にノウハウを伝えた。

 ただ、栄子は牛に直接触ることができなかった。わが子のように慈しんだ牛を失ったあの日を思えば、とても手を伸ばせなかった。

 24年11月、高農から牛が3頭、品評会に出場した。黒木夫婦も会場にいた。

 栄子は1頭の牛、「ゆうこ」の前に立った。品評会前は、毛並みを整えるなど、牛に触る作業がある。

 「いつまでも、引きずってはいられないかな」

 栄子は、ゆうこに歩み寄り、タオルでていねいに拭き上げた。

 暖かいタオル越しに、牛の体温が伝わった。懐かしさで、心がいっぱいになった。(敬称略)

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