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【いまこそ知りたい幕末明治】国宝島津家文書など守った人たち

東郷重持弓術図(鹿児島県立図書館蔵)
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 今年7月から西日本豪雨、北海道胆振(いぶり)東部地震、台風など自然災害が頻発した。その度に貴重な歴史史料が失われるのではと、心配している。

 鹿児島では明治6年、鶴丸城の御楼門と本丸が焼失した。放火とも雷ともいわれるが原因は不明である。

 明治10年の西南戦争では、5月7日と6月25日の両度の戦火により、鹿児島城下の武家地は焼失した。6年の火災では残った私学校(旧厩屋(うまや))と二の丸(現鹿児島県立図書館)も、灰燼(かいじん)に帰した。

 旧厩屋には藩記録所の文書蔵(六ケ所蔵)があったが、戦闘の直前に搬出され、難を免れた。

 この奇跡は、島津家の家令、東郷重持の決死の覚悟が起こしたものだった。

 東郷は源頼朝以来の島津家にとって大事な史料の価値を、政府軍に訴えた。薩摩藩出身で、参軍(総督補佐)であった川村純義の許可は取り付けたが、前線では文書蔵に入ることを拒まれた。東郷は「殺したかったら殺せ」と迫り、やっと文書箱七十数点を救出することに成功した。

 文書箱の中が厳しく改められたのは、言うまでもない。

 政府軍が鹿児島を制圧していた5月3日のことであり、文書は桜島に避難している島津久光の元に届けられた。これが現在、東京大学史料編纂所にある国宝島津家文書である。武家文書の白眉といわれる。

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