PR

地方 地方

「戦没オリンピアン」調査 曾根・広島市大名誉教授 メダリストら含め20~30代が8割超

Messenger

 五輪出場後、戦争で命を落とした元選手らを「戦没オリンピアン」と呼ぶ。広島市立大の曾根幹子名誉教授は、これまでに国内で37人を確認。「競技の記録はあるが、戦争時の話が残る人は少ない」と遺族らを訪ね、2年後の東京五輪までに足跡をまとめようとしている。

 曾根氏はスポーツ史が専門で、1976年のモントリオール大会に走り高跳びの選手として出場した経験がある。

 広島市被爆70年史の一部の執筆を依頼されたことをきっかけに、被爆した五輪選手の存在を知り、4年前から他の選手のことも調べるようになった。

 曾根氏によると、37人は太平洋戦争前に開催された20年のアントワープ大会から36年のベルリン大会までの夏冬いずれかの大会に選手や監督として参加。32年ロサンゼルス大会の馬術で金メダルを取った西竹一氏=45年に硫黄島で戦死=や、ベルリン大会の棒高跳び銅メダリストの大江季雄氏=41年にフィリピン・ルソン島で戦死=らも含まれる。

 死亡した場所も太平洋の激戦地や中国大陸だけでなく、戦後連行された旧ソ連の収容所で病死した例や、国内の空襲で亡くなった人もいた。8割以上が20~30代だった。

 過去の新聞記事や書籍に加え、自身の現役時代からの人脈をたどり約15人の遺族や関係者を訪問。本人の日記や手紙などを見せてもらっている。

 印象深かったのは、敵兵の残したボールで部下とサッカーをしたとの逸話が残るベルリン大会のサッカー代表、松永行氏=43年ガダルカナル島で戦死。曾根氏は「戦場で自分の置かれた状況を一瞬でも忘れられたのでは」と、スポーツの本来の力を感じたという。

 しかし調査には時間の壁が立ちはだかる。

 37人が活躍したのは80年以上前。いずれも遺族が年を重ね、資料が残っていないこともある。冬季大会の選手は1人しか見つかっておらず、「37人以外にもいるかもしれない」と調査を急いでいる。

 戦没オリンピアンたちは戦前から試合で米国などを訪れていた。曾根氏は国力の差もすでに知った上で、他の国民とは違う思いで戦争を見ていたのではと指摘。「彼らが戦地で何を感じたのか。次の世代にその思いを残せたら」と語っている。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ