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【かながわ美の手帖】日本郵船歴史博物館「図案家たちの足跡」展

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【かながわ美の手帖】
日本郵船歴史博物館「図案家たちの足跡」展

 ■重視された広告印刷物 戦前に思いめぐらせて

 横浜港にほど近い日本郵船歴史博物館で企画展「図案家たちの足跡」が開かれている。日本郵船が戦前、国内外に発信したポスターやパンフレットなどの印刷物80点を展示し、その制作に携わった図案家(デザイナー)たちの歩みを紹介。戦前の日本に思いをめぐらせる機会ともなっている。

 ◆懸賞金1千円の衝撃

 同社は国内海運最大手。国際的にはNYK(日本郵船株式会社の頭文字)として知られる。明治18(1885)年の創業以来、遠洋定期航路を次々と開設し、同時に宣伝ポスターを意欲的に制作してきた。

 明治末期ごろのポスター制作は、一般に印刷所の「画工」と呼ばれる人たちが描いたいくつかの図案を広告主が選び、空きスペースに社名などを入れていたという。人気が高いのは美人画で、同社も大正7年まではほぼ毎年、美人画ポスターを制作した。「外国で張られたとき、目を引きやすかったからでしょうか」と同館学芸員の鈴木久美子は推測する。

 明治44年、三越呉服店(当時)がポスター図案を懸賞募集した。懸賞金は破格の1千円(当時の国家公務員初任給は55円)。大変な話題を呼び、以降、多くの企業が追随するが、この試みは、企業が画工を通さずにポスター制作するという点でも画期的だった。

 1等に選ばれたのは橋口五葉の「此(この)美人」。美人画ポスターの典型的作例となった。五葉は明治38年、東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科卒。夏目漱石と親しかった長兄の紹介で同年発行の「吾輩ハ猫デアル」などの装丁を手がける一方、次兄が日本郵船の造船技手だった縁もあり、大正元年から同社の広告図案を担当した。翌年制作した「カレンダーを手にする女性」は「此美人」と同じ構図、同じくハイカラな髪形で描かれている。

 ◆“三姉妹”の運命

 大正期になって印刷技術が進み、商業美術の発展とともに、欧米の影響を受けた「図案家」と呼ばれる人たちが登場。百貨店や化粧品、酒造、製菓などの企業は社内に広告部署を設け、専属の図案家を雇い始める。

 日本郵船では、営業部船客課技士が広告係の肩書。多くが東京美術学校や帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の出身者だった。11年に東京美術学校図案科を出た水谷仲吉(なかきち)もその一人。昭和6年まで同技士として在籍し、退社後も同社の図案制作を請け負った。「欧州航路新造客船 新田丸 八幡丸 春日丸」(14年ごろ)は美人画から脱却し、船体をメインに描く図案となっている。

 新田丸、八幡丸、春日丸は同社が15年開催予定の東京オリンピックを見込んで建造した貨客船。NYKのイニシャルにちなんで命名された、同社の象徴とも言える三姉妹船だった。

 仲吉の8年後輩だった戸田芳鉄(よしかね)の「パンフレット 新田丸 八幡丸 春日丸」(15年)、3船を擬人化した藤沢龍雄の「新造の三姉妹船 新田丸 八幡丸 春日丸」(14年)、後に文化勲章受章者となる小磯良平が描いた「THE THREE NEW SISTER SHIPS N.Y.K.LINE」(15年)も今回、会場に並んでいる。

 この3船は他の大型船と同じく、先の大戦の開戦とともに、日本海軍の航空母艦として改装され、船名も冲鷹、雲鷹、大鷹と改称。やがて撃沈の運命をたどった。 =敬称略(山根聡)

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 企画展「図案家たちの足跡」は日本郵船歴史博物館(横浜市中区海岸通3の9)で10月28日まで。午前10時から午後5時(入館は午後4時半まで)。月曜日休館(祝日の場合は開館、翌平日休館)。入館料一般・大学生400円、65歳以上・中高生250円、小学生以下無料。敬老の日は65歳以上無料。問い合わせは同館((電)045・211・1923)。

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 ◆日本郵船歴史博物館 横浜港のシンボルとして係留されている日本郵船氷川丸から徒歩15分。平成15年、建物正面の16本のコリント式大円柱が目を引く横浜郵船ビル(昭和11年竣工(しゅんこう))の1階部分を大規模改修し、竣工時通りに忠実に復元して、日本郵船歴史資料館がここに移転して開館された企業博物館。近代日本海運の黎明(れいめい)期から先の大戦を経て今日に至るまでを、日本郵船の社史を通して紹介する常設展示、企画展示スペースなどがある。