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【ハイ檀です!】(151)内藤とうがらし

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【ハイ檀です!】
(151)内藤とうがらし

優しい辛味がする内藤とうがらし 優しい辛味がする内藤とうがらし

 最近になって気がついたことであるが、辛(から)さに対して弱くなっているような気がする。20代後半の頃は、かなり辛いものを食べても汗はかくものの、比較的に平然としていられた。メキシコの人々は辛さに対しては、かなり強い。例えば、タコスなどを食べる際に、これでもかこれでもかと数種類のホットソースを流れんばかりにかけ、どうだオレは凄(すご)いだろうオマエもやってみろと挑発して来る。どうやら、食べもの本来の旨味を追求することを蔑(ないがし)ろに、旨さの基準を辛さの基準へと置き換えているような節も見受けられた。

 とは申すものの、ある程度の辛さは食欲を増進する作用があるし、唐辛子に含まれているカプサイシンなる物質が、発汗作用を促したり新陳代謝を高めるようである。だから、つい先日まで異常なる残暑に痛めつけられた体には、ある程度の辛さを持つ唐辛子の摂取は理に叶っているものと考える。消耗してしまったビタミンを補給するためにも、唐辛子は効果があるとテレビなどでも解説してくれている。

 タイの田舎を旅して回ると、レストランや民宿のようなところで味わう料理の多くでは、「プリッキーヌ」というかなり辛い小粒の唐辛子を惜しげもなく使われているから激辛。その代表がトムヤムクンで、エビなど多くの魚介類に唐辛子をふんだんに加えた、どちらかというと沿岸地方の料理。内陸の方に行くと、ヤムヌアのように牛肉と玉ねぎやミント、パクチーといった香味豊かな食材に、青唐辛子と乾燥した唐辛子を使った、やはり辛い料理。

 このような辛い料理は、子供には刺激が強過ぎるのかも知れない。昔の話だが、当時8歳だった次男坊にとってのタイ旅行は、過酷な試練の旅であったようだ。彼は日本での暮らしの中でも、パクチーの匂いと唐辛子の辛さには極端に弱く、家でカレーを食べる時は、別に仕立てたお子様カレー。こんな息子を、南のリゾート地プーケットから更に小舟で3時間、ピーピー島という小さな島へ連れて行った。40年前の島は、勿論(もちろん)電気はなく、夜はランタンかロウソクの灯りだけ。部屋はヤシの葉で囲っただけの、外が透けて見えるニッパーハウス。当時ピーピー島は、ツバメの巣を取るくらいの産業しかなく、日本人の姿は皆無であった。観光客はわずかにヨーロッパの方がいる程度で今思えば理想的なリゾート。当然、夕食は暗いランプの灯りで味わう訳だから、料理の中に何が入っているかは判らない。その夜の料理はトムヤムクンで、スープの中に現地語で「ネズミの糞」と呼ばれているプリッキーヌが大量に入っていた。しかも粗切りにして投げ込んでいるから、暗い中での選別は絶対に不可能。加えて大量のパクチーも投入されていたから、次男坊は泣きながらスープをちびちび啜(すす)っていた。しかし、彼なりに分析したのであろう、辛くて強烈な匂いがしたけど、味はおいしいと思った、と、後に吐露している。

 その次男坊は、今では辛さ香りも克服しタイ料理が大好物。当時、辛さに強かった筈(はず)の長男が、今は辛さに弱くなった。結婚相手が辛さに弱かった故に、辛い食べものからは遠ざかり、現在は大の苦手のようである。食べものは、習慣が味を左右するものだろうし、舌だけではなく頭で食べていることに、気付くのである。

 日本の唐辛子といえば、鷹の爪と呼ばれている八房が主流。白菜の漬物やタクワン等にも用いられているだろうし、七味や一味唐辛子として万人に愛用されている。この八房は江戸時代に新宿の内藤町で改良され、江戸っ子は好んで味わっていたという。その理由は、辛味が優しいことに加え、唐辛子の旨味を珍重したようである。現在の新宿御苑辺りは、家康公から土地を拝領された内藤家が所有し、そこに改良した唐辛子を栽培したことから、内藤とうがらしと呼ばれ江戸野菜の一つに数えられていた。

 江戸時代が終わり、文明開化と共に江戸から東京に。江戸の街も世界の中では巨大都市であったらしいが、東京になるとさらに発展し、江戸野菜は自然と衰退して行った。しかし、誰かが種を保管していて、内藤とうがらしが復活。昨年から我が家にもやって来た。赤く熟れたものを恐る恐る口にすると、確かに優しい味がするから不思議。これを乾燥させ、今年の白菜漬けとタクワン用いる目論見だが、果たして白菜と練馬大根が育つのであろうか…。

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【プロフィル】だん・たろう

 1943年、作家・檀一雄氏の長男として東京に生まれる。CFプロデューサー、エッセイストとして活躍し、「新・檀流クッキング」などの著書多数。妹は女優の檀ふみさん。