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【平成の高速道路はこうして生まれた】東九州道(4)命をつなぎ産業興す

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【平成の高速道路はこうして生まれた】
東九州道(4)命をつなぎ産業興す

東九州道佐伯ー蒲江間の開通式。佐伯の海産物は普及の好機を迎えた=平成27年3月 東九州道佐伯ー蒲江間の開通式。佐伯の海産物は普及の好機を迎えた=平成27年3月

 ■元気な東九州は「道路でもつ」

 「このままでは患者さんが亡くなってしまう」

 平成28年3月、大分大医学部神経内科の助教、薮内健一(50)は慌ただしく電話を架けた。

 薮内は延岡市医師会病院(宮崎市延岡市)で、当直勤務中だった。そこに、めまいを起こし、嘔吐(おうと)を繰り返す85歳の男性患者が、別の病院から搬送されてきた。MRIなど詳細な検査をし、脳底動脈閉塞(へいそく)症だと判断した。

 脳梗塞の中でも危険性が高い。詰まった血管にカテーテルを通し、血流を戻す治療が必要だった。

 同医師会病院には、必要な設備がなかった。

 薮内は、周辺の医療機関を当たった。だが、受け入れ可能な病院は見つからない。最後の望みをかけて、医学部同期で脳血管治療の専門医がいる大分赤十字病院(大分市)に電話した。

 「すぐ、こちらに連れてきてください」

 患者の容態は一刻を争う。救急車で搬送を始めた。東九州道延岡インターチェンジ(IC)から大分を目指した。

 高速道路は信号もなければ交差点もない。一般道よりもカーブが少なく、揺れも小さい。

 1時間50分で大分赤十字病院に到着した。一般道より30分短縮できた。治療は無事に終わり、男性は一命を取り留めた。「高速のおかげで、命がつながった」。薮内は胸をなで下ろした。

 救急患者だけでなく、薮内自身が毎週、東九州道を利用している。

 延岡市内の公的病院には、21年から神経内科医がいなかった。患者は、大分や宮崎両市の病院に行くほかない。延岡から大分市まで、車で片道2時間近くかかる。

 延岡市などから大分大医学部への要請もあり、薮内は27年4月から、週末は延岡に行くようになった。

 毎週金曜日の午前6時半、大分をマイカーで出発し、延岡へ。昼間は外来診察にあたり、そのまま翌土曜日の午前8時半まで、宿直する。

 決して楽な勤務ではない。それでも東九州道が開通したことで、片道1時間余りで移動できる。同じ大分県内にある遠隔地の病院に通うのと、それほど変わらない。

 「延岡が物理的にも心理的にも近くになった」。薮内はそう感じる。

 東九州道は28年4月、北九州市から宮崎市までが開通した。その結果、宮崎県内の大病院から、医師不足が顕著な延岡への医師派遣が拡大した。

 国土交通省延岡河川国道事務所の調査によると、開通区間が拡大する27年、宮崎大医学部(宮崎市)から宮崎県立延岡病院に、非常勤の眼科医の派遣が始まった。翌28年には呼吸器の医師の派遣も始まり、延岡病院に呼吸器外科ができた。

 東九州道は患者の命を救い、市民の健康に直結する道路になった。

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 交通インフラの欠如は、生命に関わる。延岡市民がそう痛感する出来事が、平成2年に起きた。

 9月27日、宮崎空港(宮崎市)から延岡に向かう旭化成のチャーターヘリが、消息を絶った。翌日、日向市内の山中で墜落した同機が見つかった。社員や操縦士ら10人全員が死亡した。

 ヘリは、出張で宮崎空港を使う社員のために、旭化成が毎日4往復飛ばしていた。年間延べ1万5千人の社員が利用していた。

 旭化成は延岡の地で生まれた。同社と延岡は、一緒に成長した。

 鉄道や陸路で宮崎空港までもっと早く行けたなら、ヘリは不要で、犠牲者も出なかった-。そんなやりきれない空気が、市民の間に流れた。

 首藤(すどう)正治(62)も「大変なことになった。県北の活性化も足踏みし、市民も混乱するかもしれない」と懸念した。事務機器販売業を経営する首藤は、青年会議所のメンバーとして、東九州道の早期全線開通を訴えた。

 18年2月、首藤は市長に就任した。市職員に訓示した。

 「いずれ高速道路は全線開通する。だが、それがゴールではない。道路をどう活用し、まちづくりにつなげるか。そんな発想で仕事に励んでほしい」

 首藤自身も、東九州道を地域振興に結びつける策を練った。

 25年3月末、若い女性に人気の東京ガールズコレクション(TGC)を誘致した。27年11月には全国から文化人を集める「エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議オープンカレッジinのべおか」を企画した。

 料理評論家の山本益博を大会委員長に、作家の林真理子、作詞家の秋元康、作曲家の三枝成彰、実業家の堀江貴文ら、3日間で総勢120人を講師に呼ぶ大イベントだった。

 成功に欠かせないのが、講師のスムーズな移動だった。

 何しろ、講師全員が多忙を極める。「午後の飛行機でしか到着できない」「帰りはこの便に間に合わせたい」。そんな話が講師側から相次いだ。

 26年3月、日向IC-都農ICが開通し、延岡から宮崎空港まで1時間25分でつながっていた。

 延岡市企画課主任主事の伊藤弘人(38)は、裏方作業のチーフとして、講師陣の一覧表を手に、綿密に移動計画を立てた。宮崎県バス協会と連携し、大型バスをチャーターした。それでは足りないので、市の公用車も含めた計十数台の車を準備した。

 大変な作業だったが、「東九州道があって助かる。渋滞もなく、計画を立やすい」と感じた。

 イベントは成功した。多くの講師が、「また延岡に来たい」と、市長の首藤に握手を求めた。

 「高速道路がなくても街に魅力があれば人は来る、という人もいる。だが、ちゃんとした交通インフラがなければ、一度に大勢の著名人を呼ぶことはできず、たくさんの観客が来ることもない。来てもらってこそ、魅力を伝えられる」。首藤は交通道路の必要性を実感した。

 延岡は今、大分、宮崎両市に日帰り可能な地域として、存在感を高める。

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 東九州道は、ビジネスチャンスも広げた。

 大分県南部の佐伯市は、海の幸・山の幸に恵まれる。中でも、リアス式海岸が育んできた漁業は、江戸時代に「佐伯の殿様 浦でもつ」と称されたほどだった。

 佐伯の港の近くに、直売所「さいき海の市場◯(まる)」がある。アジやカマスなど鮮魚だけでなく、日持ちがする干物などが並ぶ。

 佐伯ICから車で10分ほど。週末になると、駐車場の車の半分は、宮崎など県外ナンバーだ。四国からの客もいる。年間売上高は10億円台に乗った。

 直売所は市内の海産物卸売業、佐伯海産が開いた。115年続く老舗だが、3代目社長の西田善彦(62)は長い間、悩んでいた。

 「全国各地をめぐり歩いたが、やはり佐伯の海産物が一番うまい。だが、このおいしさを、もう少し広めないと、地域間競争に勝てない。生き残れない」

 西田は、東九州道こそ、佐伯の成長を促すと考えた。工事中も含め、高速道路の路線が書かれた地図を、何度も眺めた。

 20年6月には、津久見IC-佐伯ICが延伸され、この結果、大分市から佐伯市までがつながる。「大分方面からも観光客が来るようになる」。西田は開通に先んじて、18年秋に直売所をつくった。

 「このうまい魚を、その場で食べられる拠点を作ろう」。西田は20年8月、直売所近くに、海鮮レストランを開業した。

 宮崎にも目を向けた。

 「新鮮さが◯(まる)、価格が◯(まる)、品ぞろえが◯(まる)」。24年から宮崎県内で、こんなテレビCMを流した。

 佐伯海産のように、東九州道の沿線では、地元食材を生かした施設が次々と開業した。28年4月の椎田南IC-豊前ICの開通に合わせ、福岡県豊前市に開業した「うみてらす豊前」も、その一つ。オープン10カ月で、来客数は10万人を突破した。

 北九州市から宮崎市につながる高速道路は、完成した。両市間の所要時間は4時間20分と、開通前の半分になった。

 沿線では21~27年の間に約670件の企業進出があった。佐伯の殿様は「浦でもつ」と言われたが、東九州の産業発展は「道路でもつ」ことが如実となった。

 西田は語る。

 「東九州の経済は東九州道のおかげで、他の地域に追いついてきた。東九州の『おいしさ』を前面に出して、もっと商圏を広げたい。生まれ育った街を、誇れる故郷にしたい」

 東九州道のうち、宮崎~鹿児島間の大半にあたる75キロは未開通だ。これが開通してこそ、九州道と東九州道で、九州を大きく循環する構想が、現実のものとなる。(敬称略)=おわり

 この連載は村上智博が担当しました。