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赤坂天王山古墳 戦後初の測量調査報告書、桜井市教委が刊行

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赤坂天王山古墳 戦後初の測量調査報告書、桜井市教委が刊行

 崇峻(すしゅん)天皇陵の可能性が指摘されている桜井市の国史跡・赤坂天王山古墳(6世紀末~7世紀初め)について、市教委が戦後初めて実施した測量調査の報告書を刊行した。古墳は終末期の大型方墳で、横穴式石室は「天王山式」として、古墳研究の基礎資料とされている。だが、戦前の調査資料があるだけで、これまで本格的な報告書は刊行されていなかった。

 赤坂天王山古墳は、桜井市中心部から南東約3キロにある倉橋溜池のそばに位置。日本古文化研究所などが戦前に計3回調査したが、昭和10年代を最後に記録は残っておらず、実態はベールに包まれていた。このため、桜井市教委が平成11~20年に測量調査を実施。調査結果をまとめた報告書「赤坂天王山古墳群の研究」(A4判、75ページ)を今年6月に刊行した。

 報告書に掲載されているのは、古墳測量図▽石室の3次元計測図▽石室内に置かれた刳り抜き式石棺実測図▽墳丘の断面図-など。墳丘規模は南北約47メートル、東西は北辺が50・5メートルで南辺は43・2メートルといびつな形の方墳と判明した。また、西側の古墳の一部を壊して造られたことも明らかになった。

 石室の規模は全長15・3メートル以上。そのうち玄室部は長さ6・5メートル、幅3・2メートル、高さは奥壁側で4・2メートル。石棺では今回初めて赤色顔料が確認され、築造当初はベンガラで赤く塗られていたとみられることも分かった。

 第32代崇峻天皇は蘇我氏によって暗殺され、遺体はその日のうちに埋葬されたと日本書紀は伝えている。赤坂天王山古墳は敏達天皇(第30代)の子、押坂彦人大兄(おしさかのひこひとのおおえ)皇子の墓とされる牧野古墳(広陵町)との類似性が指摘されていたが、今回の調査で2つの石室はほぼ同規模と確認され「同じ工人によって造られたことが想定される」(市教委)という。

 報告書には墳丘や石室、石棺などの写真のほか、周辺にある古墳14基の測量図も掲載。市教委は「築造時期や被葬者像の解明などの研究が進むことを期待している」としている。

 報告書は1冊3千円。桜井市立埋蔵文化財センター((電)0744・42・6005)で購入できる。