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【久保田勇夫の一筆両断】回想の「政」と「官」(2)様々なせめぎ合い

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【久保田勇夫の一筆両断】
回想の「政」と「官」(2)様々なせめぎ合い

 大蔵省の本省に戻って2年目、昭和48年夏の人事異動で、私は国際租税課から税制第2課の課長補佐に替わった。担当は間接税、そのうちいわゆる自動車関係諸税及び新しい間接税(当時は、現在一般消費税となっている「付加価値税」が検討されていた)である。そこで、私は48年度から始まる「第七次道路整備五か年計画」の為の増税を担当することになった。これについては、既に前年度に閣議了解が行われており、この5年間の道路投資規模を19兆5千億円とすること及びそれに必要な財源措置については「昭和49年度予算編成時までに所要の検討を行う」こと、とされていた。「所要の検討」とは、その為の増税をするということであった。

 やや技術的になるが、国の道路建設の為の財源としては、揮発油税と地方道路税といういわゆるガソリン税などが法律上、道路財源と規定されていた。その他、その税収の約8割が道路の建設に充てるとされていた自動車重量税があった。増税のポイントは、全体で幾(いく)らの増税とするか、そして、そのうち、自動車(自動車重量税)とガソリンの負担割合をどうするかということであった。後者は、ある意味、自動車業界と石油業界とでその負担をどう分けあうかという問題であった。

 来年度予算の議論が始まり、与党の道路調査会はガソリン税を30%引き上げ、自動車重量税を3倍にするという増税案を示した。いわゆる「打ち出し案」である。

 政府の税制調査会においても熱心に検討が行われ、大蔵省、自治省、建設省、通産省、運輸省、経済企画庁、環境庁等関係省庁が広くこれにかかわった。この間の税収予測、税制調査会の資料の作成及び他省庁の資料の調整、具体案にいたるまでの議論の収束、などがわれわれ主税局の役目であった。

 その後、われわれ課長補佐レベルの知らないところで、最終的にはガソリン税2割引き上げ、自動車重量税2倍とする、と決められた。主税局長は、関係する主な省庁の幹部を集めて「政治」の結論を伝えられた。集まったのは建設省道路局長、通産省産業政策局長、運輸省自動車局長、自治省税務局長であったはずである。建設省は道路を建設する側の、通産省は石油産業及び自動車産業の、運輸省は交通政策の観点から、そして自治省は大蔵省と同様、本件全体の、とくに地方にかかわる分、のとりまとめの責任者の立場である。話のポイントは、「政」の場でこれで今年度の税制改正を進めようということになったので、「官」としては遺漏ないように対応しようということだった。

 ◆「オレの仕事だ」

 われわれは、一方では改正法案の作成を進めると共に、関係者に対して改正内容についていわゆる「根廻し」を始めたのである。先ずは細部についての意見の収束を図るべく与党の関係者に説明を開始した。

 合意は与党内で既に出来ていたはずであり、成り行きは先ずは順調であった。当時与党は4、5程度の派閥に分かれていたがどこに行って説明をしても「そうか」という具合であった。ところが、途中からあるグループが異を唱え始めたのである。先に述べたようにこの増税は石油業界及び、自動車業界の負担の調整という側面もあった。説明を受けた議員の中には、率直に「私は油ですから」と石油業界支持であることを明言される議員もおられた。

 聞き及んだところによれば、主税局長が状況を総理に報告し、これから、先の合意案について理解を得るべく、異論を唱えた与党のグループのところにもう一度説明に出向く旨告げられた。これに対して、田中角栄総理は、「その必要はない。政治の場で決めたことを実行させるのはオレの仕事である。役人はそういうことをやってはならない」という趣旨のことを述べられた由である。「政治」のトップがとりまとめた事に反する動きを止めるのは政治家たる自分の役割であるということである。その後、与党内で異論を唱える声は聞こえなくなり、予定通り2倍、2割増の増税となった。私がかつて「田中政権もいろいろと言われますが、私の経験によれば政と官の責任の分担はそれなりに明確だったと思います」と語ったのは、こういうことを踏まえてのことである。

 ◆「青函トンネル全額復活」

 私はその後、税制1課で法人税担当を2年務めた後主税局を離れ、大臣官房文書課で「法令審査担当」という新設のポストを1年つとめた。そして、理財局資金第2課の課長補佐となり、財政投融資の仕事をすることになった。郵便貯金や簡易保険といった財政上の資金を政府関係の事業をする機関に配分する仕事であり、国鉄、電電公社、営団地下鉄等の11機関の担当であった。その一つに鉄道建設公団があった。

 それは昭和53年度予算折衝も相当進んだ頃であったので、多分52年12月の最初の頃の話であろう。予算編成作業も進み関係者の緊張が高まっていた時期であった。

 局長がお呼びだというので局長室に伺うと、「オイ、久保田クン、鉄建公団については決着がついたと聞いていたが、こういうのがきたゾ」と一枚の紙を見せられた。その紙には大きな字で幾つかのことが書かれていた。その一つに、「一、青函トンネル全額復活のこと」とあり、その紙の末尾にはこれも大きな字で「田中角栄」とあった。内容は、当時鉄建公団で建設中の新幹線用の青函トンネルの工事費の査定額に不満である、当初要求通りの金額とせよという、前総理からのメモである。

 容易ならざる話である。予算編成は相当進んでおり、全額復活の財源はもうないはずである。本件は鉄建公団ともよく議論をして決めた話であり、そのことについては自信があった。それに、そもそも鉄建公団自身にも当初要求の全額分を工事する能力があるのかという疑問もある。とはいえ相手は与党内で大きな影響力をお持ちの前総理であり、しかも鉄建公団は自分が創ったと自負しておられるはずである。

 神経の細い局長であれば、動顛(どうてん)し、担当者である私に「君は決着がついたと言ったではないか。一体どうなっているんだ」とどなりつけるところであろう。ところが、この局長は「調べてくれ」と言うだけで平然としておられた。急いで調べてみると、われわれ理財局が先方と一定の合意をした後で、主計局がその金額をさらに削減しようと試みたことがその原因らしかった。それで先方は驚いて前総理の所に走ったということらしい。主計局は、工事の額については、その資金の配分の任にある理財局の査定に委せていたが、この年は、この厳しい国鉄の財政状況の下で理財局の査定は甘い、と更に削ろうとしたのである。

 事情を局長に説明し、当時の理財局の幹部が前総理のところに実情を説明に行かれ無事当初の案で決着した。「政」と「官」とのせめぎ合いは様々な形をとって行われていた。

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【プロフィル】久保田勇夫

 くぼた・いさお 昭和17年生まれ。福岡県立修猷館高校、東京大法学部卒。オックスフォード大経済学修士。大蔵省(現財務省)に入省。国際金融局次長、関税局長、国土事務次官、都市基盤整備公団副総裁、ローン・スター・ジャパン・アクイジッションズ会長などを経て、平成18年6月に西日本シティ銀行頭取に就任。26年6月から会長。28年10月から西日本フィナンシャルホールディングス会長を兼務。