PR

地方 地方

群馬県戦没者追悼式に1700人 「平和のための努力を」 後世への継承には課題

Messenger

 終戦から73年を迎えた15日、約5万人の県出身戦没者をしのぶ平成最後の「県戦没者追悼式」が前橋市関根町のALSOKぐんまアリーナで開かれた。参列した遺族や関係者約1700人は、正午の時報に合わせて黙祷(もくとう)し、戦没者の冥福を祈った。戦後生まれが全人口の大半となる中、遺族は後世に戦争の惨禍をどう語り継ぐか、頭を悩ませている。 (吉原実)

 高崎歩兵第15連隊所属の父を中国の揚子江上で亡くした県遺族の会、川村真三会長は「戦争でかけがえのない肉親を亡くした私たちは、今日の日本の平和と繁栄は戦争で散華されたご英霊の尊い犠牲の上にあることを決して忘れてはならない」と追悼の辞を読み上げた。

 大沢正明知事は「次の世代に継承することは私たちの責務だ。先人たちが魂を込めて築き上げた『郷土群馬』をさらに発展させるよう、全身全霊で取り組んでいく」と述べた。

 このほか、「次の世代を担う若者代表」として、前橋育英高校2年、岩渕圭佑さん(16)と高崎健康福祉大学高崎高校(健大高崎)3年、阿部夏佳さん(18)があいさつ。岩渕さんは「今を生きる全ての人と協力しながら、平和のために努力を惜しまず、これからの人生を歩んでいく」と話した。

 平成最後の追悼式に参列し、「元号も変わるし、いろいろな曲がり角にいる。遺族会は衰退している」と語ったのは、藤岡市遺族の会の副会長を務める松原東さん(75)。

 自身が生まれて2週間後に出征した父がビルマ(現ミャンマー)の山林で、26歳の若さで戦死した。戦後、戦友や同級生から父の歩みや人となりを教えてもらったという。先の大戦を知らない世代が戦争の惨禍を語り継ぐことについて、「かなり難しいのでは」と語る。

 初めて参列したという前橋市の峰岸スミ子さん(75)は親族をニューギニアで亡くした。会場では、天皇、皇后両陛下がご臨席した全国戦没者追悼式の様子が中継され、「最後に天皇陛下のお話を聞けて大変良かった」と話した。

 追悼式に先立ち、県出身の戦没者4万7千余柱が祭られている高崎市の県護国神社でも参拝式が行われ、大沢知事や県選出国会議員らが参加した。

                   ◇

 ◆吾妻消防本部OB・奥木皓さん ヘリ墜落で後輩犠牲、いつもよりつらい8月

 戦没者追悼式の会場には、例年にも増してつらい気持ちで献花台を見つめる参列者がいた。吾妻広域消防本部OBの奥木皓さん(70)だ。父方の叔父が先の大戦で出征し、激戦が繰り広げられた沖縄で戦死。今夏は、終戦の日の5日前の今月10日に県の防災ヘリコプター「はるな」が中之条町の山中に墜落し、ともに働いた旧知の仲の後輩が犠牲となった。

 県内に住んでいた叔父は満州へ向かった後、輸送船に乗って沖縄へと転戦。帰らぬ人となった。

 終戦後の昭和22年生まれの奥木さんは、生前の叔父がどういう人物だったかなどについて、父親や現地で生き抜いた人から話を聞いたという。当時、機密であった情報も含まれているため、どのように戦死したのか不明な点も多い。

 ただ、叔父は爆弾を積んでいた特攻用の船に乗っていた際に沈められ、沖縄本島で死亡したと聞いたことがあるという。

 平成最後の終戦の日。奥木さんは今夏の西日本豪雨など多くの死者を出した天災や事故を念頭に、「嫌なことがたくさんあったなあ」と、ため息をつく。

 自身も長い間、消防職員として多くの「生死」を目の当たりにし、訓練で防災ヘリに乗った経験もある。しかし、その防災ヘリが墜落し、地域の安全を守る若い仲間を失う悲劇が起きた。

 「まさか落ちるなんて。本当になぜなんだ…」

 思い返すだけで言葉が詰まる。

 「甲子園で盛り上がっている一方で、悲しむ人がいる。8月というのは日本にとってつらい季節でもある。暑さよりつらさが身にしみる夏だった」

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ