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【板東武士の系譜 番外編・真夏の怪談】(中)平将門 首塚には都市伝説も江戸っ子に人気

「平将門公之像」=茨城県坂東市岩井
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 平将門の乱(935~40年)で戦乱を起こし、東国独立国家を目指した平将門。「新皇」を名乗り、最後は藤原秀郷(ひでさと)に倒されたが、死後も存在感を見せつけた。

 将門の乱の顛末(てんまつ)が書かれた軍記物「将門記(しょうもんき)」は、将門の死で終わらない。田舎の人と名乗る人物が“あの世”での将門の動静を告げる。「冥界消息」である。悪を犯したときは仲間を集めたが、報いを受けるときは多くの罪を背負って一人で苦しむと嘆く。「その苦しみは極まって痛さは言葉に表すことができない」。剣を並べた剣林に身を置き、鉄の箱の中で肝をじんわりと焼かれるような苦しみだと説明している。

 一方、世間は将門の怨霊におびえる。菅原道真や崇徳上皇と並び日本三大怨霊とされる。将門の時代から約400年後の南北朝時代を書いた軍記物「太平記」にも将門が登場する。もちろん南北朝の動乱とは関係ないが、過去の反逆者の話に飛ぶのだ。

 将門は秀郷に敗れたが、獄門にかけられた首は3カ月、目は開いたままで色も変わらない。歯を食いしばって「わが五体はどこだ。ここに来い。首をつないで、今一度、合戦するぞ」。江戸時代の錦絵や読み物、歌舞伎の題材になり、最強怨霊にして江戸っ子の人気者でもあった。

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